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倫理学概論I・II・III (座談会)

◆授業科目名:

倫理学概論I・II・III

福島大学教育学部・学校教員養成課程・社会科学系教育コースの選択必修科目(「倫理学概論II」は同・生涯教育課程・環境科学教育コース の必修科目にも指定されています)。それぞれ半期2単位。1年次生以上対象。中学校社会科、高等学校公民科の教員免許所得のために必要な科目(上記学部、コース学生以外にも 他学部、他コースから免許所得のため受講している学生が3分の1くらいいます)。平均受講者数80名前後の講義型科目。
注:福島大学教育学部は2004年度後期から改組して人間発達文化学類に変わっています。それにともない上記科目は廃止されています。

◆授業担当者:

小野原 雅夫(福島大学人間発達文化学類助教授)

◆共同研究者:

岩崎紀子 (福島大学人間発達文化学類助教授)

◆テキスト:

特に決めていません。参考書は授業中に紹介しています。

◆授業のテーマと目的:

それぞれのテーマは、以下のように定めています。

 倫理学概論I 「自由と幸福の倫理学」
 倫理学概論II 「科学技術と環境の倫理学」
 倫理学概論III 「戦争と平和の倫理学」

扱うテーマはそれぞれ異なりますが、共通の目的として、学生が倫理学的な問題を「自分で考える」ようになってもらいたいと願っています。学生に対してはこの授業の目的を次のように提示しています。「自分が抱いている『思い』や『感じ』を、ことばで表現したり、他人の思いや感じに耳を傾けたりすることを通じて、『考え』へと深めていく。倫理学のテーマに関して学生たちはそれぞれ自分なりの偏った知識や強固な意見をもっていますが、ふだんはあまりそれらを意識していません。まずは、表現してみることを通じて自らの出発点を確認した上で、教員からの講義を聴いたり、他の学生たちの意見に耳を傾けたりすることによって、自分の立脚点から一歩外へ踏み出してもらうことが当面の目的であり、できることならば、より深く、より客観的に考えるためにはどうしたらいいかというところまで学んでもらえればと思っています。

松下佳代(京都大学高等教育研究開発推進センター教授)

それでは、ただいまから大学授業ネットワーク座談会を始めたいと思います。今日は、福島大学人間発達文化学類の小野原雅夫先生と共同研究者の岩崎紀子先生にお話し頂きます。

 

今回は新しい試みとして、できるだけweb(大学授業ネットワーク)の内容を使って進めていきたいと思います。通常では授業参観をしてから検討会を進めてきたのですが、今回は授業参観をしないで、検討会をおこなうこととしました。授業公開(参観)&検討会の場合は、どうしても今見た授業について議論するということが多いのですが、こういう形での座談会のメリットとして、1時間の授業だけでなくて、背後にある授業実践とか、授業観とかカリキュラムの問題とか、そういうこともまとめて全体像を把握しやすくなるということがあるかと思います。

それではまず小野原先生と岩崎先生に、授業、カリキュラム、そして福島大学の改革、FDの状況、それから2人で共同研究を進めておられるので、共同研究の進め方などについてお話しして頂ければと思います。どうぞよろしくお願いします。

小野原雅夫(福島大学人間発達文化学類助教授)

福島大学の小野原です。本日はお招き頂きありがとうございました。

今までは1人で一方的に話す授業をしていたのですが、昨年の2003年4月から授業のやり方を変えました。まだまだ試行錯誤の最中ですが…。

一昨年2002年に岩崎さんが来られて、いろいろと話すようになって、授業を見てもらって、というのがきっかけです。一番困ったのが、(webには)自分で考えるようになってもらいたいと書いてるのですけれども、学生が全然考えてないなっていうことでした。僕が一生懸命話して、割と学生は静かに聴いてくれているのですけれども、試験をやってみると、板書をそのまままとめたようなものしか書けない、あるいはそれを全然理解していない、誤解している。あんなに一生懸命聴いてくれているのに、こんなに誤解しているのか、というのが一番大きいところです。もうちょっと頭を使って欲しいなぁという。こっちが一方的にしゃべって書いて、というスタイルだときっと考えられないんだろうなということを考えていて、そこで岩?さんと出会ったという感じです。

論文もいろいろ紹介してもらったんですけれども、やはりHPですね。特に「大学授業ネットワーク」がよかったです。今回ワークシートをやっているんですけれども、それはリフレクションシートという「大学授業ネットワーク」にあったものを参考にさせてもらいました。

小野原)

福島大学の教育学部は割と実績を持っていたと思うのですが、最後の最後まで国立大学で理系がないというのが福島だけになってしまっていました。常に自然系学科も作りたいという長年の悲願があったのですけれども、それが叶うようになりました。しかし、1人も教員定員も学生定員も増やしてはもらえない。中の改組だけでやっていかなければいけない。そこで、教育学部にある理科、情報とか技術の先生なんかで新しい自然系学部を作るということになりました。

そうなると、どうしても教育学部を解体せざるを得ない。今までは3学部の大学だったのですが、今は4学類の大学に変わって、教育学部というのが来年の4月((注:2005年4月)から人間発達文化学類ということで学生を取ることになります。それに向けてこの10月から改組をすることになりました。

小野原)

ワークシートを使うというのが1つで、あとグループディスカッションを年に数回おこないます。第2回以降は、ほぼ毎回ワークシート1枚(A4裏表)を書かせます。ところどころ書かせては僕が話して、最後また書いてもらって、というような授業です。

本授業でのワークシートというのは2つの機能を持っています。リフレクションだけではありません。1つはまず考えさせるという機能で、もう1つは振り返ってもう1回考えるという機能です。この2種類が僕の使っているワークシートの機能です。

これから書かせようとすることに関して、たとえば「科学とは何か」を説明するときに、「科学とは何かを書いて下さい」だとあまりにそのまますぎて学生は書けません。ですから、「科学と宗教はどう違うかを思いつく限り書いて下さい」というように提示します。このように、こちらが説明しようとしていることをあらかじめ考えさせるというのが「シンキング・ワークシート」で、それをいろいろやってきた上で振り返ってどう思いますか、というのが「リフレクション(リフレクション・ワークシート)」です。一番重要なことであり今後の課題でもあるのは、書けない人にどうやって書けるようにしていくかということです。

やってみてわかったのは、学生たちはほんとうに授業内容を誤解している。この言葉をこういう風に受け取っている、ということです。たとえば自由の反対の話、文明論の話をして、文明論というのはまったく自由がない、つまり運命論・決定論の話をしているのだけれども、その話が彼らは自由の話だと勘違いしている。そういうことがいろいろあったりするわけです。毎回多くの人たちが勘違いしていることに関しては、もう一回説明し直す。続けていると、段々学生の説明が変わってくる。これが一番やっていて良かったなと思うところです。

もう1つのグループディスカッションについてですが、だいたい5〜6人のグループを作って、12グループから15グループで話し合いをさせました。まず、個人でシンキング・ワークシートに書いてもらって、摺り合わせてみんなで話してもらいます。プレゼンテーションをするときは、代表者が前に出て発表してもらいます。それが終わった後で、リフレクションシート(グループディスカッションはどうでしたか、他のグループを聞いてどうでしたか)を書いてもらいます。

松下)

ありがとうございました。それでは、共同研究者の岩崎先生、授業を観察されて気づいた点や小野原先生の説明を補足されることなど、自由にコメントをお願いします。

岩崎紀子(福島大学人間発達文化学類助教授)

授業の記録を取ってみて、1時間の授業の構造がすごくかちっとしているということがわかりました。学生さんに書かせているのだけれども、結果的に後で時間を計ってみると、90分の半分も使うことはなくて、基本は「チョーク・アンド・トーク」なんですね。その中で、いかに学生に考えさせるかという構造になっている。

ワークシートにどういう問いをのせるかと吟味をすることで、授業者が教育内容をもう1回厳選して、それに適した教材を選ぶことができます。考えさせるためには、聞かせることが必要です。たいていの場合学生は、聞く必然性を持たずに板書を見ながら話が右から左に流れていき、結果的には何が残ったんだろうというようになるわけです。小野原先生のワークシートは、聞かないと書けないし、書かないと聞けないという構造を作り出しているのだと考えるようになりました。

田中毎実(京都大学高等教育研究開発推進センター教授)

一斉授業方式でやられた最初のものと、改革をやられた2番目のものと、もう1つ先に行くものの3つの類型があったと思います。どこがどう違うか考えたんだけれども、一斉教授型の分では、先生が「ティーチャー」なんですよね。改革型の分では、多分「ディレクター」。完全に教えるというのではなくて、方向づけを与えながら導いていく。学生は応答していくんだけど、それが全部方向づけられている。学生の方は「学ぶ」と思っているのだけど、結局は「教えられる」というように誘導されている。

改革前と改革後での1番大きな違いは、ふつうは「学び」が重視されたと理解されるかもしれないけれど、そうではないと思う。「教え」の方がより生かされているというふうに考えていくべきだと思う。

3番目の類型は何かといったら「ファシリテーター」型の教師かなと思う。グループディスカッションをしながら学生は思考を拡散させていく。それをファシリテートする。ディレクトして方向づけを与えないで、むしろ思考を促進していくというパターンでしょうか。

岩崎紀子(福島大学人間発達文化学類助教授)

授業の記録を取ってみて、1時間の授業の構造がすごくかちっとしているということがわかりました。学生さんに書かせているのだけれども、結果的に後で時間を計ってみると、90分の半分も使うことはなくて、基本は「チョーク・アンド・トーク」なんですね。その中で、いかに学生に考えさせるかという構造になっている。

ワークシートにどういう問いをのせるかと吟味をすることで、授業者が教育内容をもう1回厳選して、それに適した教材を選ぶことができます。考えさせるためには、聞かせることが必要です。たいていの場合学生は、聞く必然性を持たずに板書を見ながら話が右から左に流れていき、結果的には何が残ったんだろうというようになるわけです。小野原先生のワークシートは、聞かないと書けないし、書かないと聞けないという構造を作り出しているのだと考えるようになりました。

田中)

一斉教授型というのは、学びをうまく誘導できない不安定さがあるんだけれども、学生の方は聞き流したり曲解したりする自由を持っている。改革型のような、学びと教えをうまく方向づけるディレクター型に進んでいくのは当然なんだよね。ただ、そうなると聞き流したり聞いたりして授業に参加するといった自由はなくなってしまう。ここをどう考えるかがポイントだと思います。

小野原)

教員の側の完全義務と不完全義務をこちらから呈示し、学生の側の完全義務と不完全義務を呈示します。出席が不完全義務から完全義務になったことにも見られるように、学生の側の自由な裁量範囲がどんどん狭まっているのは事実だと思います。ただ、教育学部の学生はそれを喜びますね。

田中)

主体的に学問をすると言ったって、放ったらかしにして学生のいいようにしたってダメで、教えながら主体的に学問させる、学ばせるというようにしなければならない。これはものすごく難しいから、確かにこれしかないような気がする。だけど、そうするとこれは主体的と言えるのかと思ってしまう。学生は自発的に同調はしているけど、主体的ではないかもしれない。

松下)

今田中先生が言われたことは、センターの公開実験授業の検討会でもずっと議論になってきたことで、「制約と構造化」の問題です。講義って一見すごく制約が強そうに見えるんだけれども、実は違うんですよね。それに対して、学生参加型の授業は自由そうに見えるけれども、実は非常に構造化されていて、そこに学生を乗せる力が強いわけです。

講義に参加して、講義から学びつつ、かつそれを超えて自由に思考を伸ばしていける学生というのは、非常に能力の高い学生だと思います。ごく一部の能力の高い学生にとっては、講義は自由で知識も学べてとてもいい形態だと思うんですけれども、それは一般的な学生には通じない。その違いを認識しておくことが重要だと思います。

また、(田中先生のおっしゃられた)2番目のディレクター型の授業が、構造化されていて誘導している、縛っているということについてですが。構造を教員がどれだけ相対化できるかということと、学生がその構造を相対化していける自由をどれだけ残していくかということは別だと思いまして、その分別がとても重要だと思います。

こういう学生参加型の授業をやっているんだという自覚のない教員けっこういますよね。学生が積極的に自ら参加しているんだって思いこんでいる人。そうではなくて、囲い込んでいるんだという自覚がまず必要だし、それに対して教員が相対化できる、学生にも相対化できる余地を与えるというのが1つの方向かなと考えています。

田中)

ということは、規制の枠があって、学生がいっぱい越えていって、教師がそれに答えきれなくなって、ポリフォニー(注:多声音楽)になっていくっていうのが理想だということですね。それならわかる。

溝上慎一(京都大学高等教育研究開発推進センター助教授)

私の授業でなかなかうまくやれないなあと思うことがいくつもあって、そのいくつかが今日のお話に抵触してきます。
私は、今日はこれをテーマにして授業をやりたいという授業の目標を立て、いくつかのサブテーマもつくって、授業をおこないます。今日はこのテーマについて学習して欲しいというのが事前にあるわけです。しかし同時に、ポリフォニーのようなものを期待していて、こっちはいろいろと考えていること、分かっていることを話すんだけれども、抜けてるところを示してくれ、とコメントを書かすんですね。これが私のリフレクションです。
小野原先生のやり方は、最初にシンキング・ワークシートを書かせ、その後先生がお話しされる、それが先生の答えみたいになってしまう嫌いはあるかもしれないですけど、最後に学生たちはまた自分たちが考えたことを書き、先生の話と摺り合わせる、そういう構造ですよね。私の場合は、自分の分かっていることを先に出してしまうので、学生たちにはその後で反論でもいいし、何か思ったことを書きなさいと言うのです。

するとどうなるかというと、ほとんど出て来ないんですね。やっぱり私の話したのは「答え」になってしまって、「私も同感です」「おもしろかったです」となってしまう。構造は違うのですけれども、このギャップには苦しんでいて、何かしら先生の授業でもこの点について考えるところがあるんじゃないかと思って聞きたいわけです。私としては学生に「ここまでは分かった。ここからは分からない、こういうふうに考える」という言い方をほんとうはして欲しい。

小野原)

聞いていて、京大と福島大の違いかなと思うところがあります。もちろんこちらが与えたものから自分で考えて欲しいし、乗り越えて欲しいと思っているけど、まさにそれは不完全義務のレベルで、現実にそこを要求したらほとんどが不可になってしまいます。それよりもまずは、とにかく倫理学の話をすると言ったときに、倫理学というものに関心をもってもらう。関心がなければ何を聞いても分からない。関心を持ってもらうにはどうやって作ったらいいのか、そこが共通の悩みなんです。関心を引き出すというときに、まず考えてもらう。倫理学の場合は幸いなことに、だいたい考えられるような問題なんですよね。たとえば戦争とか環境とか。それを書いてもらうとか話してもらう。その中でお話しをするという感じです。

松下)

シンキング・ワークシートで書かれたことに対する先生の答えという形で講義をしているわけではないんですよね。シンキング・ワークシートでの問いと授業の内容との関係はどうなっているんでしょう。

小野原)

答えではないけれども、答えと受け取られても仕方がないような講義の話にはなっているかもしれません。しかし、それでもいいかなと思っています。

溝上)

先生の講義、解説を聞く前に、学生たちは自分たちの頭の中で一回考えているわけですよね。で、そういうことだったのか、自分はこういう風に考えていたのか、とか、リフレクションはそういう書き方になっているんですか。

小野原)

だいたいそういうのが出てきていて、「自分は浅はかだった」とか素直に感心してくれるものが多いようです。全体に対するフィードバックはやらないので、たいていはワークシート上でコメントをつけて個別に対応しています。

松下)

全体へのフィードバックをしようとは思わないんですか。

小野原)

……ちょっと余裕ができたら考えるかもしれないです。

松下)

基本的にはワークシートと先生との1対1の関係ですよね。

小野原)

そうですね。

溝上)

私はそれ(全体へのフィードバック)をやりすぎて、みんなに刃向かっているように見えるらしくて…。

小野原)

僕がむしろ心配しているのは、みんなを混乱させてしまうんじゃないかということですね。せっかく、切って切って割とクリアにして、食べやすくしているのに、ことさら難しくしてしまうんじゃないかと恐れているのですね。

松下)

議論は尽きないのですが、そろそろ時間ですので、座談会はこれで終わりたいと思います。今日はとても実りの多い座談会でした。本当にどうもありがとうございました。