大学における学びの探求(1) (座談会)
大学における学びの探求(1) (シラバス)
全学共通科目1〜4回生対象 前期2単位、2004年度前期実施
溝上 慎一 (京都大学高等教育研究開発推進センター助教授)
なし
1.自らの学び探求とその学習スキルの習得
2.大学の学びへの動機づけ
− 京大に来て何を学ぶのか
− 受け身の学習から主体的な学びへ
− 教養とは何か、専門とは何か
− 大学生活・人生のなかでの学業の位置づけ
1.学生主導型&個人探求型の授業
2.知の探求の背後で必要とされる学習スキル(課題をどうやって見つけるか、読書、議論の仕方、パワーポイントの使い方など)を身につけさせる。
3.ML(メーリングリスト)の活用(教員と学生全員で議論を共有可)。
4.授業者はコメントをできるだけ控える。学生間での議論が止まらないようにあくまでファシリテーターとして参加する。
5.2004年度前期の授業進行:
(1)4/13 オリエンテーション、全体ディスカッション「大学で何をするのか?」
(2)4/20 上回生3名からのレポート
(3)4/27 自らの学び探求課題の設定1
グループ・ディスカッション(3人単位)をやってみよう
(4)5/11 学び探求課題の設定2:グループ・ディスカッション(3人単位)
(5)5/18 パワーポイント作成・講習会
(6)5/25 中間発表 ----------1人15分発表、5分質疑----------
(○○@総人1)「語りとはなにか?」
(○○@理1)「本当にやりたいものを見つけるためには」
(○○@工1)「21世紀の農業のあり方はどんなものであるべきか」
(7)6/1 中間発表:
(○○@医1)「正しい医学部生のつきあい方−どういう人間関係を構築すべきか−」
(○○@農1)「数学的原理によるリズムの探求」
(8)6/8 中間発表:
(○○@総人1)「失敗学基礎論」
(○○@文2)「京大学生論−自由の学風はもはや幻想か−」
(○○@経1)「年をとって介護が必要になったらどうしますか」
(9)6/15 中間発表:
(○○@理3)「大学院進学について−院生のアンケートから−」
(○○@経1)「大学における学びのスタイルはどうあるべきか」
(10)6/22 中間発表:
(○○@法1)「サンデグジュペリを読んでみる」
(○○@工2)「拾い食いばっかりしてても太るだけですよ」
(○○@農3)「自殺できない構造」
(11)6/29 休 講
(12)7/6 中間発表(学内公開授業):
(○○@経4)「漬物から見た加工野菜フードシステム」
(○○@教育3)「酒造業界の来し方行く末」
(○○@工3)「考え方を考える」
(13)7/13 中間発表:
(○○@農3)「フリーター増加は問題となるのか?−日本の未来はどうなる?−」
(○○@工3)「教養と研究の関係−スケベ根性?OR ゼネラリスト?」
反省会、レポート課題提示、懇親会
松下佳代(京都大学高等教育研究開発推進センター)
本日は司会を務めさせて頂きます。どうぞ宜しくお願い致します。
今日の論点は次の3点にあるように思います。
1.前半のところの溝上先生の指導、学生との関係を作ってきた背景にあるもの
2.2001年度から始められて段々シンプルになってきた学びの探求の授業の変遷について
3.卒業研究ではなくて授業(全学共通科目/教養科目)として学びの探求をやることの意味について
溝上慎一(京都大学高等教育研究開発推進センター)
議論に先立って、2点目についてだけお答えしておきます。 前年度までの授業 との違いは、大きく以下の2点です。
1つは、ポートフォリオ・ファイルを廃止して、代わりにML(メーリングリスト)を設置したことです。というのも、ポートフォリオは個人の活動記録や振り返りにはいいけれども、一人一人の活動が学生同士で共有されないという問題点があります。他の学生がいまどのような学び作業をしているかがわかりにくい、という問題が常時発生していたのです。
もう1つは、大学のアカデミックな学びにつながるような学び探求課題を個人に求めたことです。これまでの授業では、大学での学びに関する問題(授業がおもしろくない、勉強をやらなければならないとは思っているが、忙しくて結局は何もしていない、何をやりたいかわからない、など)を中心課題として取り上げ作業をさせてきました。しかし、学生によってはすぐ問題が解決されたり、授業のためにわざわざ問題を探したりするなど本末転倒な現象が見られ、参加する学生に問題意識の温度差があることを感じていました。
本年度からは、アカデミックな学びにつながる各自の学び探求課題を具体的に立てさせ、それを探求することを授業の主目的としました。そして、これまで授業の主目的としてきた学業とは何かとか、学業に関連する大学生活や人生の問題などは、具体的な学び課題を探求する過程で必要に応じて取り上げたり議論したりするようにしたわけです。
ちなみに、今日見て頂いた学生たちの学び探求の中間発表テーマは、「清酒業界の来し方行く末」(教育学部3回生)、「漬物産業のフードシステムと原料調達について」(経済学部4回生)、「考え方を考える」(工学部3回生)でしたよね。このように、内容は個人の興味、関心に応じて何でもいいのですが、最後はどこかでアカデミックなものにつなげるよう指導しています。
清水豊子(千葉大学教育学部)
第1点目の論点に関連して、1回目のオリエンテーションでは、溝上先生が一方的に話をされたのでしょうか?つまり、この授業はこういう風にこういう目的でおこなっていく予定であるみたいなことを、ほぼ全時間を使ってされたのでしょうか?
溝上)
オリエンテーションはこういう授業だということを言わなければならないので、これは一方的です。言い方がきつくて、学生に引かれてしまった経験が何度かあるので、今年の授業では淡々と5分か10分もかからないくらいで終えました。ただ、京都大学に来てクラブ・サークルだけじゃないでしょ、みたいな挑発的なことは言っていて、それについて30分くらいディスカッションをさせました。そこでは何を言ってもいいんだけれども、とにかくこの授業は、大学では自分は何をするのかについて考える場だということを暗に知らせる。またそこでのディスカッションには、この授業がこうしたディスカッションをはじめとする学生の自発的な作業をもって進むのだという、メタメッセージも込めています。
清水)
学生たちは、3回目の授業までに自分の漠然としたテーマを考えてくるということなんですか?
溝上)
2回目が終わったところで、来週は自分たちの学び探求課題を決めていく過程に移りますよ、と言います。ただ実際には、6回目の授業から中間発表に入っていきますので、それまでに課題を決めて作業に移っていくように、という言い方になります。さっと決まって作業に移っていく者もいれば、なかなか決まらない者もいます。
岩崎紀子(福島大学人間発達文化学類)
学生たちは、テーマをどうやって見つけてくるのかなと思いました。自分が気になっていることを見つけて言葉にするという作業は、実際なかなかに難しい。
溝上)
ほんとう、そう思います。
中間発表が6回目以降の授業でありますから、学生たちは最後は何かしらに決めてはくるのです。しかし、場あたり的なものが少なくなく、がっかりすることがあります。ただ。3回目、4回目の3人1組のグループ・ディスカッションでは、課題の決まっている人とそうでない人とがうまく混ざり合って、決まっていない人への示唆がそこで与えられたりすることもよくあります。これはなかなかいいと思ってみています。
清水)
この点がうまくいっているのは、3回目、4回目までの、教師がいかに条件設定をして学生たちをその気にさせているかだと思います。学生たちの頭の良し悪しではないと思います。
ある学生から別の学生へのアイデアの提供というのは、能力というよりもむしろ、「おや」っという気づきの形でなされているのではないでしょうか。この形を学生たちが一生懸命やりだすと、学生たちは変わっていく。しかしこの場合、教師が少しでも指示的になってしまうと、失敗すると思います。
自分のテーマを見つけて言葉にできる最大の根源は、学生同士のインタラクションにあると思います。学生同士のピア・ラーニングで刺激を受け、学び、「あの人があんなふうにやっている。負けられない」「自分もこうしよう」といったように思いながらやっていくのがいいのではないでしょうか。だから、この授業で言えば、5回目までの下準備が教師としてうまくいくか、はらはらする部分だと思うんですね。
川瀬)
もともと知らなかった学生同士が集まって授業をするということで、ポートフォリオを廃止してメーリングリストが設定されていますね。先生が授業中に質問されない分、メーリングリストがものすごく活発に機能していて、授業が終わった後も学生たちは学びあっている。先生は、それがあるから授業中に言わないようなスタンスを取っているのでしょうか。
溝上)
私は、MLがあるからあまりしゃべらないようにしているというよりは、この授業では教師はファシリテーターだと思っていますので、その観点で私はできるだけしゃべらず、学生に一言でも多くしゃべらせようとしています。もっとも、もう少ししゃべった方がいいかもしれません。
あと、これまでの経験上から、どうしても授業中に発言しない学生が出てくる。ですから、MLを設定しているのは、全員に一言でもしゃべらせるようにしたいからです。ただ、授業中に発言した学生もMLでは発表者にコメントを送るように言っています。授業で言ったこととは別のことを書いてくるようですが、二度手間に見えることは否めません。
神藤)
これまでセンターでやってきた「ライフサイクルと教育」という授業や鳴門教育大学と遠隔授業としてやっているKNVという授業(注:Kyoto-Naruto Virtual university)では、学生たちは授業中にいっぱいしゃべるので、逆にメーリングリストや掲示板では書くことがなくなることがある。どっちかが活性化するということなのか。
松下)
ディスカッションを授業でしてしまうと、たしかにメーリングリストで書く必要性がなくなる。
溝上)
1時間半という限られた授業時間内では、議論は皆さんが見られた程度なのですが、彼らは授業が終わった後も1時間くらい廊下で議論の続きをしています。MLがコメント以上の議論になって活発になっているのは、たぶんこのせいだと思います。
ちなみに、授業を5限目(16:30-18:00)に設けているのは、授業終了後も学生たちは残って議論ができるようにしているからです。この授業は、2001年度は3限目(13:00-14:30)、2002-2003年度は4限目(14:45-16:15)、そして今年は5限目とだんだん遅くなっているのです(笑)。
川瀬)
先にも少しでましたが、学生が発表して、学生が質問するという場なので、先生の発言する機会が少ない。学生にとって先生の発言がすごく濃いというか回数が少ない分、大きな印象を与えているように思う。発表者にまとめを促す意図で先生が質問をされているのか、聞いている学生に理解を促す意図で質問をされているのか、どちらでしょうか。あるいは、先生が思った疑問をもとに学生たちに揺さぶりをかけるということもあると思います。先生がのような意図で質問されたのかは、とても気になったところです。
溝上)
私の方で妙に完結したまとめはしないようにしています。専門の授業でもありませんから、たとえば、物理の運動、力学のような探求テーマが出てきたときに、私は何も気の利いた質問をすることができません。ただ、私も一参加者として学生たちの発表を聞いていますので、私が自然と疑問に思ったことや、それでいいのか、などと思ったときには質問をするようにしています。
あと、私の質問をしたりコメントしたりする時間が短いのは、短い授業時間のなかで一人でも多くの学生が発言してくれる方がいいと思っているからです。
松下)
先に、発表に対してコメントとか評価とかはしない方がいいだろうとおっしゃっていましたが、私だったら多分言っていると思うんですね。溝上先生が言わないのは、学生の側から出てくるのを待っているのか、たとえばメーリングリストで言っているのか。あるいは、誰からも学生からコメントが出てこなくて、自分としては重要だと思っているような点があったときでも、それは伝えないのか。
学生たちは最終的にレポートを書いてまとめるんですよね。今日の中間発表を受けてリフレクションして修正して、最後のまとめにしていくと思うんですよ。それに向けて質を高めることに教師は関わるべきだと私は思っていますが、溝上先生はその評価・コメントをしないということについてどうお考えなのでしょうか。
溝上)
コメントをして質を高めることを私は意図的にやっていませんし、これがいいことなんだとも言ってはいません。私はなるべく彼らと同じ聞き手、同じ参加者として教室に立つように心掛けています。質を高めてやろうと私が思ったら、たしかに質は良くなるかもしれないけれども、もう少し待っていたら彼らの中から出てきたであろうはずのものを失うことにもなりますよね。この授業は学生たちが自ら学ぶ姿勢やその考え方、学習スキルを身につける授業です。専門のように、レポートの質を高めることが第一義ではないと考えているのです。もっとも、もう少しコメントしてもいいかなとは思っていますが・・・。
松下)
もし溝上先生が自分のところの学生の卒業研究の指導としてやるんだったら…
溝上)
それだったらもうバシバシ指導します。
松下)
それと対比して言いたいのは、「この授業だから」言わないわけですよね。
溝上)
そうですね。
清水)
私もそのようなジレンマを抱える授業があります。ファシリテーターと資料の中にありましたけど、こういう授業での授業者の役割は芝居でいうプロンプターみたいなもので、プロンプトはするけどダイレクトはしないというものだと思います。たとえばディスカッションしているとき、ある学生が「私はこう思うんだけども」と言う。そのとき、授業者はあくまでone of themで聞く必要があります。授業者の意見といってもやはり教師ですので、人生経験も違うし、基本的に彼らがまだその認識のレベルに達していなければ脅威だろうし、上からの指導にしかならない。だから、わざわざ言わないようにしているのだと思います。
松下)
ダイレクトしなくてもいいのですが、何か核になるような質問、探求を促すのに有用だと思われる点を質問するということは、あっていいのではないでしょうか。
清水)
たしかに、評価的なコメントではないが、質を高めるコメントは欲しいと思っている学生が、中にはいるでしょうね。
福留東土(広島大学高等教育研究開発センター)
学生によっては、そういうふうに言ってくれることを求めていると思います。たとえば最初の段階で、何か課題を見つけてそれを発表するわけですが、どういうふうに問いを立てていいかわからないとか、どういうふうに主体的に考えていいかわからないといったことがあると思います。そのような学生がいた場合には、何らかの形で方向づけ・・・と言えば言いすぎかもしれませんが、何かヒントを与えるようなことがあっていいと思います。学生ははっきり言わないでしょうが、心のどこかで求めているのではないでしょうか。
溝上)
私は、自分の言葉で問いを立てることと、松下先生がおっしゃった学生の学び探求の質を高めることとはわけて考えていますが、それは一緒にしてお考えですか?
福留)
はい。私が言いたかったのは、教員の学生に対する働きかけ一般のことです。
溝上)
発表会のときのコメントではなく、問いが立たない、何をやったらいいかわからないといった作業を進める上でのつまづきに限定して言えば、私はそれに応えられそうな学生に声をかけて、「大丈夫か、あの学生?」と言って問題を聞いてやるようお願いすることがしばしばあります。私がその場で「こうやったらいいよ」と助言をしてもいいのですが、それは先にも述べたように、できるだけ避けています。しかし、一人一人の学生の進捗状況は相当過敏になって見ていますので、何でもいいとか、何をやっているかわからないということにはあまりなっていないと思います。
松下)
発表会のときのコメントに戻りますが、学生が議論した最後に言ってもいいんですよ。
溝上)
とすれば、何か「まとめ」みたいな立場になるのではないですか?
松下)
問いを立ててそれを追求していく。その問いを追求していくときのコアになるような部分は、ある程度専門ではなくてもわかりますよね。それを学生が、フロアにいる学生も含めて、言い出しえない、そういうときに教師が議論に介入することはやはり必要なのではないでしょうか。
溝上)
専門の授業だったら遠慮なく言っていると思うのですが、なかなかできませんね・・・。専門ならある程度のディシプリンが共有されていますので、議論の是非もわかりやすいしできると思うのですが。
松下)
ディシプリンじゃなくても、これは学びの探求ですよね。「探求」なんですよね。自分でテーマを立ててそのテーマをいかに探求していくか、ということを学ぶ授業なんですよね。私たち(教員側)から見て、ここのところは追求していけばもっといけそう、というのはありますよね?
清水)
(学生の発表(問いの追求)が甘いか否かは)われわれが思うことであって、彼らに言ってしまうことはできないように思います。普通の授業なら、「もうちょっと内容を詰められるんじゃない?」とか言えますけど、こういう授業では教師が何か正解のようなことを言ってしまうとおしまいになってしまうような・・・。
松下)
正解ではなくて、正解を言ってるつもりではなくて・・・。
溝上)
この授業は、学生の学び探求の質的発展というだけではない要素があると思います。つまり学生にとっては、ある学び探求課題を発表するだけでは事済まず、それを扱う自分のプライドみたいなものまで表現されなければならない。それは、フロアからの意見や質問を発する学生にも言えることで、何かおもしろいこと、気の利いたことを言おうとみんな必死で考えている。その意味からすると私は、学生たちが調子よくやって主張とか表現ができればこの授業はベストなんだと、十分なのだと、どこかで思っているのかもしれません。
杉原真晃(京都大学大学院教育学研究科)
(松下先生に対して)京大だからつっこむのか、質を求めてもう一歩というのは、誰に対してでもつっこむものなのか。(個人に応じてではなく)一律この授業ではここまで要求するということでつっこむのか。
松下)
もちろん、それは受け止められるだけの構えが学生にあるかどうかによる。だけど、京大だからということはない。人は見るかもしれないけど、相手にそれを受け止めるだけのものがあると思ったらすればいい。
溝上)
学生たちの話を聞いていると、先生たちは答えをもっているように考えている節があって、それはまずいなとよく思います。それは、授業の受け方に如実に表れているではないでしょうか。「教えてくれ!」「授業が不満だ!」って。もちろん、授業は改善していかなければならないけれども、学生たちが自ら問いを立てたり疑問を感じたりして探求するということがまるでない。そうした学生たちが満足するような形で大学の授業が改善されていくのだとすれば、これは危機的だとよく思います。自ら考える、自ら学問を探求する力を身につけさせたい、この授業はその一点だけを念仏のように唱えてやっています。
今日の議論をふりかえって、もう少し学生たちにコメントしてもいいかなあと思うようになりました。たとえば、何人かはとてもよくできる学生がいます。そうした学生には、もう一段階上ではないのですが、向上への隙間を作ってやることが必要かもしれません。そして、その隙間はなかなか学生同士の議論だけでは作られないものです。いろいろご意見を有難うございました。
松下)
それでは、そろそろ時間ですので、終わりたいと思います。本日は、どうも有難うございました。






