トレーニング科学 (座談会)
トレーニング科学
(京都大学総合人間学部専門科目。2単位。1〜4回生対象。2003年度後期実施)
小田 伸午 (京都大学大学院人間・環境学研究科助教授)
小田伸午著『運動科学−アスリートのサイエンス−』(丸善)
スポーツや身体運動における、技術と体力およびそれらの基盤となる人の精神について講義し、皆でディスカッションをしながら理解を 深めることを目的とする。スポーツは、頭で検討し、感じで実践するものである。すなわち科学の知と、感覚・感性の知の二つの世界を 往き来しながら、総合人間学としての、スポーツ科学を考察してゆく。受講者には、1回の講義に対して、メールで感想と意見をレポートして頂き 、次の講義で各自のレポートを発表し、皆でディスカッションを行う。文系学生の参加をおおいに希望する。理系学生と文系学生が入り交じって、 互いの違いと共通性を確認しながら、総合人間学について考えることも、この講義の目的である。
松下佳代(京都大学高等教育研究開発推進センター)
本日は司会を務めさせて頂きます。皆さま、宜しくお願いいたします。
この「大学授業ネットワーク・座談会」は、興味深い大学の授業をとりあげ、そうした授業をわれわれはどのように見ていけばいいか授業改善や開発のポイントはどこか、を自由に議論する場です。
本日は、人間・環境学研究科の小田伸午先生に授業「トレーニング科学」をご提供頂き、議論させて頂くことにしました。授業の詳細は、「大学授業ネットワーク」で紹介していますのでそちらもご覧下さい。小田先生どうぞ宜しくお願いいたします。
まず小田先生、今日のトレーニング科学という授業科目のねらいを教えていただきけますか。
小田)
授業のねらいは何かっていうと、あんまり定めてないんですよね。
自分の中の生き様があって、それを素直に出して、学生と行ったり来たりすることを大事にしています。そこに学問があり、私の過ごしている学問の反対側に、ある目に見えない感覚の世界がある。そのことを考えてきたのが僕なんだと思います。
そういうことのなかで、学問の位置づけや科学の位置づけが、また、芸術の美しさを考えるときの「芸術とは何なのか」、スポーツの中にも美しさがあり動きがある。
あらゆることの基盤、共通性をいろんなところから拾い上げて、共通性と個性といったものを学生には感じていただきたいと願っています。
授業の特徴をあえて言いますと、
・授業後の感想は原則としてフリーです。
・シラバスに主な項目を挙げますが、予定表は書きません。これは授業が死んでしまうような気がするからです。
・毎回授業での学生の動きを見ながら次回に何をするかを決めていきます。
・主にスポーツや音楽、踊りに興味のある人が集まります。
・数名いるリピーターの学生に発表させたりすることもあります。ある学生の言葉は他の学生に重みをもって伝えられます。お互いに教えあう。教える中で学ぶことを大事にしたい。
・教えすぎないこと。学生に着かず離れず適度な距離をとります。
田中毎実(京都大学高等教育研究開発推進センター)
すごく面白かったのは、典型的な授業だということです。
どういうふうに表現したらいいか考えていたのだけど、「表現と回収」と言えばいいのではないか。表現というのは言語的な表現であったり、身体的な表現であったりするのだけども、その表現したものを丸ごと自分のロジックに回収していくという形で授業が組み立てられている。
結局、インタラクションと言ってるけどインタラクションではない。ここでは一貫して小田さんのロジックが通っている。だから講義なんだと僕は思う。
しかし、講義なんだけど、学生の方は教えられたとは思っていない。学生にとっては、自分の表現があって、表現が丸ごと回収されながら、先生から若干の修正が加えられくるみ込まれていく。だから、学生たちは教えられたと思っていなくて、学んでいると思っている。
もう1つ言えば、回収される喜びみたいなものがあるのだと思う。回収される喜びというのは、本当は不健康なんだよね。学生参加型の授業というときに、学生参加をさせながら、なおかつ講義が成り立つためにはどういう工夫が必要かという議論があるけど、それに対する1つの答えだと思う。
松下)
不健康と言われるのはどうしてですか。
田中)
学生には反発してほしいし、そうなると回収はできない。回収したらインタラクションにならない。
溝上慎一(京都大学高等教育研究開発推進センター)
回収してもいいのだけど、回収してもう一度学生に返すなら、学生たちは何か言えますよね。それなら、小田先生の形であってもインタラクションになるのではないですか。
田中)
結局、うまくくるみ込んでいく相手ではあっても、素材であっても、人ではない。
神藤貴昭(京都大学高等教育研究開発推進センター)
レポートを見て、それを授業で伝えて言ってますよね。
溝上)
今日の授業で学生たちの表現を回収して、小田先生はロジックを返しましたよね。
だけど、学生たちは合わないものをまた返してくるわけです。先生は回収しているけれども、結局は学生が反発する機会を与えていると思うのですが。
松下)
レベルが違うんだと思う。
全部先生の論理で学生がやっていることは説明できるんですよ。だから、学生がここに書いてることでも説明できるのだと思う。
小田)
大事なのは授業で学生たちの感情的な反発が起きないことだと思います。
溝上)
僕がこの授業で一番興味をもっているところは、学生参加型でありながら講義だという点です。
一般的に世の中の学生参加型というのは、学生がどこに向かって学習するか、つまり学習目標となる内容を任意にするのですよね。だから、どこに向かっていっても、まあよく頑張ったで終わる。学生は生き生きしていたと賞賛されていて終わる。もちろん、それは大事なことなのですけど、こればかりでは知識積み上げ型の専門科目では受け入れられない。
一方通行の授業でなるべく学生に参加してもらうような講義をするためには、学生に表現をさせて先生のロジックを返していくという方法が一般的です。小田先生もこの方法を使っています。
小田先生のすごいところは、学生がどんなスポーツをやっているか、どんなことに関心をもっているかをよく知っていることです。また、知ろうとして学生たちから引き出していることです。また、表現させようとする努力、技術に、先生らしさがあっておもしろい。
ここが、普通のただ表現だとか引き出すなどという授業とは違うところだと思います。もちろん人数が少ないなどそういう問題はあると思うのですが・・・。
小田)
授業の伝えたいことでつながる側面とそれ以外でつながる側面とがあって、そういう授業外でのつながりも大事にしましたね。その方がうまくいくと思います。
小田)
(公開授業ということもあり)授業らしくしなければ、という呪縛が今日はありました。授業として形になっているのかと不安でした(笑)。
これまでの授業では、科学の部分を説明したところもあるのですが、今日の授業は科学者としてデータをほとんど示していない。そういうところでの悩み、そうしたところでのあえぎみたいなものを感じながら授業をやっていました。
溝上)
授業の目標を教育学的にいうときには、学生が何かを学んでいく、今まで知らなかったことを知るようになる、それまで考えていなかったことが考えられるようになる、というのですけども、そこで学んだり考えたりすることが何でもいいというわけではないんですよね。
つまり、そこに科学的な知識とのからみで考えるようになったとか、新しいものを知ったとか、そういういうふうにならないといけない。先生はそういうふうにおっしゃっているのだと思います。
文科系の授業を考えるときにはとくに、大きな投げかけになると思います。
小田)
コーチは一人一人違う言葉で接することができる。原理原則は10人に同じでも、1人1人をどれだけ理解してアプローチするかが大事な作業になります。
コメントも一人一人にアプローチしています。全員に教えようというのではなく、その一人一人に話を聞いてもらっているという感じです。それはどんな効果があるのでしょうか。
松下)
それは少し講義とは違いますね。
小田)
一人一人のコーチングにみんなも参加してもらう。
田中)
どうして今のは講義と違うの。
松下)
一人一人の違いに寄り添っていくというように、講義はなっていないと思います。相対的な違いよりも原理的に違うのではないでしょうか。
小田先生の授業では背景にコーチングの経験や考え方があるのでそうなるのでしょうが、一般的な講義の場合は、一人一人のストーリーをそんなに寄り添ってやっていないと思うのです。
小田)
僕が懸念しているというか注意しているのは、今学生A君に僕がコメントしているとき、他の子がどんな反応をしているかということです。「俺の話とは関係ないわ」となったら、あの授業は成り立たない。
その話を聞き耳立てている。それが授業だと思っています。
松下)
それがスポーツを超えた共通性…。
小田)
そういうことなんです。
人の話が自分の話のように感じられるか。ひとごとではないんだ。アイツは野球の話をやってる。俺はテニスだから関係ない、ではない。
田中)
一人一人の学びを大切にしていきながら、授業をしていく。
溝上)
学生たちは自分の頭で学んでいると感じているのが、この授業のすごいところだ。
小田)
何か教えられた、じゃなくてね。
溝上)
学んだ、って思っているとこがミソですね。
松下)
それでは、そろそろ時間ですので終わりにしたいと思います。小田先生、本日はお忙しいなかをどうも有り難うございました。






