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きて・見て・さわって 有機化学が死ぬほど好き! (座談会)

◆授業科目名:

きて・見て・さわって、有機化学が死ぬほど好き!シラバス

◆授業担当者:

◆メインテキスト:

R. J. Fessenden, J. S. Fessenden『フェッセンデン基礎有機化学』成田吉徳訳、化学同人 (1995)

◆参考書:

各学生の所属する学部の専門科目で使用される有機化学の指定テキスト

(例)

理学部: J. Clayden, N. Greeves, S. Warren & P. Wothers, "Organic Chemistry", Oxford University Press, N. Y. (2001)

工学部: Graham Solomons & Craig Fryhle "Organic Chemistry", 7th ed., John Wiley & Sons

薬学部: ボルハルト・ショアー「現代有機化学(上・下)」第3版、大嶌幸一郎他訳、化学同人(2000)

農学部: (メインテキストに同じ)

◆授業のテーマと目的:

この授業は、有機化学を基礎から学ぶ1回生に対し、

  • 1.実物にふれ、体を通して納得しながら理解するという実体験を伴う生きた有機化学に触れること
  • 2.知識ではなく有機化学の考え方(ロジック)を学ぶこと
  • 3.みずから主体的に学ぶことの意義とおもしろさを、有機化学の学習を通して実感させること

の3点をテーマとして、有機化学の基礎を確実に身につける機会を提供しています。そのため、少人数ポケットゼミの機動性を生かし、 実物に触れる機会や実験、会社見学など、体験型の学習をふんだんに取り入れ、「有機化学はおもしろい」という原体験を植えつけ、 有機化学に対する強い動機づけを与える一方で、学んだ知識や考え方を確実に身につけるための具体的方法を提案し、勉強したい人は いくらでもできる環境を整えています。この授業を通して、有機化学の基礎を学ぶことはもちろん、有機化学という学問を通して、学生みずからが 主体的に学び、「与えられる知識」から「みずから考え行動する学問」へと発想を転換させることを最大の目的としています。

◆協力者(敬称略):
塩野香料株式会社 化学研究所生体分子機能研究部門 I
大学院生 加藤正宏 (D1)、奥津令子 (M2)、舘 哲史 (M2)、宇野哲也 (M1)、川島朋子 (M1)、 齋野廣道 (M1)、玉井道子 (M1)、 中川祐一 (M1)、安川 剛 (M1)

松下佳代(京都大学高等教育研究開発推進センター)

本日は司会を務めさせて頂きます。皆さま、宜しくお願いいたします。

この「大学授業ネットワーク・座談会」は、興味深い大学の授業をとりあげ、そうした授業をわれわれはどのように見ていけばいいか授業改善や開発のポイントはどこか、を自由に議論する場です。

本日は、化学研究所の平竹潤先生に授業「きて・見て・さわって−有機化学が死ぬほど好き−」をご提供頂き、議論させて頂くことにしました。授業の詳細は、「大学授業ネットワーク」で紹介していますのでそちらもご覧下さい。平竹先生どうぞ宜しくお願いいたします

まず、授業を見るポイントを整理しますと、

  1. 学生をあらかじめ選出する(有機化学を好む理科系の学生)。
  2. レポートを書かせ、それを上回生(ボランティアで参加)が添削する。
  3. 添削は○×だけではなく、院生自身も学習し深いレベルで学生に返していく。
  4. 年度ごとにアンケートを取り、学生たちがどのように受けたかを把握し次年度の改善に役立てる。
  5. 企業への見学を組み込む。
  6. 自己評価を書かせる。
  7. 評価は加点評価で行う。

さて、授業者が授業を作るときの古典的な授業スタイルというのは、その人の生きてきた歴史や教育実践史など、そういうもので彩られているといわれています。私たちは、それを「ライフヒストリー的アプローチ」といっています。

平竹先生、そのあたりのことを補足して頂けますか。

平竹)

確かに自分自身の経験は非常に大きいと思います。というのは私が1回生2回生のときに、ちょうどこのキャンパスで有機化学を初めて勉強したんですね。そのときの先生が自主ゼミを開いて下さって、毎週木曜日の夕方にその先生のラボへ行ってひたすら問題演習をやったんです。

今になって思いますと、それが自分の基礎を築いてくれたのに違いない。ゼミの場で接する先生は、いろんな意味で講義で見る先生とは違いましたし、そのときはレポート添削ではなかったのですが、徹底して問題演習をやるということが知識の定着を図る上で非常に役立ったと思います。

それが身にしみてわかっていますので、徹底して問題演習をやることは有機化学を学ぶ上で是非やらなければいけないということを学びました。

神藤貴昭(京都大学高等教育研究開発推進センター)

一般的に学生が学力低下していると言われるのですが、そのあたり実感としてありますか?

平竹)

これだけマニアを相手にしていますので、それは感じません。

私は一般の学生をまんべんなく見た経験がほとんどありませんので、かなり偏った集団を相手にしているかもしれません。

松下)

よく参加型授業と講義型授業が対立的に論じられるのですけど、それらは決して対立するものではないと思います。学生たちは基礎を学んでいるのですけど、基礎を学ぶことと世界の中に入り込んでいって楽しい思いをするというのは全然対立するものではないと思うのです。

田中毎実(京都大学高等教育研究開発推進センター)

僕にとって一番すごいと思ってるのは,「好き」という言葉なんですね。というのは、いろいろな大学で授業を「楽しい授業にしてくれ」「わかりやすい授業にしてくれ」って大きな声があるわけです。

その「楽しい」とか「わかりやすい」といったときに、学生に対する迎合というのが基本的にあるんですよ。学生の水準と教えたい内容とが食い違ってるときに、学生の方の水準にどう合わせていくかということを考えていく。今まで学生の方を見ていなかったのをこちらから見ることが大事なことはわかるのだけど、結局のところ、学生の方に合わせて水準を切り詰めていくということに問題が出てくると思うんですね。

溝上慎一(京都大学高等教育研究開発推進センター)

授業の中だけを見て授業を評価するのはいけないとよく思います。つまり、「予習」や「レポート」といった授業外のさまざまにシステム化されている授業要素を含め、その1つとして授業を見ないといけない。

田中先生のおっしゃったように、大学教育では、授業に参加型授業と講義型授業の二つがあるとして、それらが対立的に議論されるのが一般的です。しかし、平竹先生の授業は、表向きは講義が中心だけれども、授業外ではレポート課題の自主提出が課せられていて、学生たちはかなり主体的に勉強している。その点では、参加型授業だともいえます。

この構造を支えているのは、いうまでもなく、レポートの採点や授業を補助する大学院生です。協調学習といっていいかわかりませんが、大学院生が入ってきて、大学の縦割りの構造を見事に生かした授業であるように見えます。

世の中では、一教室の中で教師が学生たちをいかに引っ張るかという議論に終始しています。もちろん、私はそれを否定してはいないのですが、平竹先生の授業は、京大が持っている縦割りの構造を非常に意識して利用している点に、授業のローカリズムの具現性があっていいなと感じます。

こうした、縦割りの強調学習をおこなっている例は、滋賀大学の教員養成系の教育学部にもあります。そこにも現職教員が大学院生としており、そういう現職教員を利用した学部専門授業がおこなわれています。

問題はそうした大学院生が授業を単なるお手伝いと思わないでやれるかどうかにあると思うのですが、そのあたりよければ議論していただけますか。

田中)

もともと卒業研究や修論の研究を進めていくときに、上回生や助手が関わっていくという一種の教育的伝統があって、それが生きているんだろうねぇ。

大山泰宏(京都大学高等教育研究開発推進センター)

しかし、その場合はテーマ自体が未知なものじゃないですか。しかしながらこの授業の場合は積み上げ式と言っているように、院生の方が絶対的な知識量もあるし技術もあるわけです。それでいて、一方的に教えるわけでもなく協調学習が成り立っているところに着目したいですね。

平竹)

院生は確かに知識は豊富ですし教える立場に立つことも多いのですが、実は本当に一番勉強しているのは院生なのです。それが本当に一番実現して欲しかったことですけれど、そういう意味では、(レポートの添削というやり方は)非常にうまく院生の勉強には生かされましたね。

大山)

なぜ彼ら(院生)は勉強するのでしょう?

溝上)

院生はただでさえ忙しい日々を過ごしています。その中でレポート添削をしっかりやろうとするなら、不確かな知識などが出てきたときにいろいろ調べて勉強しなければならないはずです。

最初の“やってみよう”という段階をどうやって先生がクリアして誘導したのか、とても不思議です。

平竹)

最初はかなり気をつかいましたね。

彼ら自身の勉強になるということをわかってもらって、なおかつ、「別にやらなくていいんだよ」「やりたい人だけやって欲しい」「一緒にやりましょう」、そういう働きかけというのを随分しました。

実は何回もこういうレポート添削をしているドクターの院生がいます。彼との付き合いはけっこう長くて、(非常勤先の)教育大でのレポート添削を、彼は修士の頃からやってくれていたのです。それを彼はけっこう楽しんでやってくれていたんですね。その彼が他の学生さんに、「これはけっこういい勉強になるよ」と言ってくれていたのは助かりました。

しかし、院生にとっては私が思ってた以上に大変だったのは事実です。研究室というのはかなりギルド的な閉鎖空間で、その中で徒弟制度のような形で研究が進んでおりますし。彼らからしてみると、こちらはお願いしてるつもりでも、半分はかなり強制的に聞こえているのかもしれません。

大山)

この授業をもたれて、あるいは学生さんと関わられて、先生ご自身や学問の仕方が変わられたということはあるのでしょうか。

平竹)

間違いなく変わりましたね。

仕事をしていく中で、こういう積み上げ式の教科書的な勉強(あるいは知識の集積)が重要だとは感じてはいたのですが、そのことを実際の講義という形で実践してみて確認できました。

これまで見えていなかったものが見えてくると学生たちが実際に言ってくれます。有機化学は経験学問だけれども、そこから出てきた議論を自分の手足のように自由に使えるようになれば、これから起こることを予想できる。そういう学問であることを、彼らは体験したのではないでしょうか。

うちの院生にも、教科書的な積み上げ式の有機化学を勉強し続けないとダメですよ、と自信をもって言えるようになりました。

私自身もだいぶん勉強しました。このレベルのテキストで自分自身が新しいことを勉強するということはないのですが、派生していろいろなことを考えたり、もっと深いレベルで説明しようとして高度な専門書を調べたりしますよね。そういう意味ではすごく勉強になりました。

田中)

もしこの授業が卒業研究とか修論の研究のなかに位置づけられていたとしたら、この授業はどう変わったのかな?

松下)

学部のカリキュラムの一つとしての授業を考えれば、先生が自由に授業内容を設定できるポケゼミのような授業というのは、自由度がかなりありますよね。

それと絡めて、一年生の前期でやるこの授業の意味は何でしょうか。

平竹)

確かに、これは1回生の前期向けの授業です。これが、たとえば農学部の3回生向けのカリキュラムのなかでおこなわれる講義だとしたら、彼らに、有機化学を通して大学で学ぶ意味などを語ることはあまりなかったかもしれません。

それともう一つ学部の授業ですと、継続的に1年半くらいかけてテキスト1冊をやると思います。ですから、講義の中でテキストの内容をもうちょっときめ細かく説明していくやり方をしていたかもしれません。

松下)

ポケゼミは今1回生の前期だけですよね。これをもうちょっと増やしていって、教養教育のなかの重要な授業形態として拡張しこうとか、そういうことはどうですか?

平竹)

それもありだと思います。

学生の意見を聞きますと、ポケゼミは1回生の前期しか履修できない、1人1つしか取れないというシステムに不満の第1があります。1回生の後期でも取れる、複数のポケットゼミが取れる、そういうシステム作りはしていくべきだと思います。

もっとも、積み上げ式の学問が教養教育でしっかりできるかと言われると、大人数相手なので心もとないところはあります。また、ポケットゼミはトピックス的なものになりがちですから、、オーソドックスな積み上げ式の基礎を扱うのには、ひょっとすると不適当な形態かもしれません。

もちろん、そのことと有機化学が積み上げ式以外の形でも学習できるということとは別のことです。そうであるからこそ、たとえば、つまみ食いのような形でも講義が十分成り立っているわけです。

大山)

ポケットゼミ一般ではなく、先生のこの方式で!ということでいえばどうでしょうか。

溝上)

ポケットゼミの要素に支えられて成り立っている部分はあると思います。しかし、もうちょっといろいろやれば、可能性は出てくるようにも思うのですが。

平竹)

ポケットゼミかどうかはさておき、このような形態の授業は、教官が手間ひまかけて授業に深く関与しないと成立しない。

けっこう大変だとは思うのですが、私の中では自分が理想とする大学の講義を実践するつもりでやってきました。ですから、こういう形態の講義を、たとえば物理学とか他の学問領域の先生がそれぞれのやり方でやって下さったら非常にいいと思いますね。

溝上)

この授業は、有機化学というコンテンツを徹底的に外さずにやっているわけです。しかし、有機化学を超えた世界というのを伝えてもいます。それは有機化学に対する哲学ということだけでなくて、レポートの書き方から学習の仕方、大学とはこういうところだっていうことなどです。

私も学び支援プロジェクトをやってますので、比較して考えているのですが、どうしても学び支援ではコンテンツをもてないんですね。あくまで大学に入っての学習の仕方とか、つまずいたときの問題点など、そういうものをできるだけ取り上げて議論しています。

そういうことも大事だとは思うのですが、本来ならいろいろな科目の先生1人1人が、授業をただコンテンツの伝達などと思わずに、先生の生き方とか大学での学習の仕方などを、それぞれの形でおっしゃって下さると学生たちは随分救われるのですが…。

大山)

導入教育ではしばしばコンテンツがぶっ飛びますよね。

松下)

コンテントフリーのレポートの書き方というのは、たしかに内容なしですよね。

平竹先生の場合には、あくまで有機化学というディシプリンの中で、そのためのレポートの書き方を教えられています。しかし、ディシプリンにこだわりながらも、それを超える内容があると思います。たとえば、科学者の倫理というのでも、有機化学だけでの話ではないと思うんですよね。もっと広い意味があると思います。

専門基礎的な内容で、かつ導入教育的に与えられる知識でもない、行動しながら学ぶという学習のパラダイムシフトみたいなことが先生の意図のなかにありますね。

平竹)

(これまでに)レポートの書き方とか、モチベーションとか、学習方法とかいろいろなことを教えてきました。それは一種の技術的なことです。しかし、コンテンツ抜きでそういうことを教えることは非常に難しいと思います。

というのは、たとえば、「正しく美しい日本語を書きましょう」と言われたときに、学生は何を書いたらいいのみたいに思うわけです。ところが、「自分の実績に基づいて自己評価を書きなさい」と言われたらそれははっきりしてるわけです。明確に目的があり、それが単位に直結しています。学生にとってこれは真剣になりますよね。

その上で、「どうせ書くなら正しく美しい日本語を心がけましょう」というのです。書く内容がはっきりしている、目的がはっきりしているわけですから、こうして書きやすくなると思うのです。

松下)

文脈の中で学んでいきつつ、それを一歩離れて体系的に学ばせる、こういうバランスが重要なのでしょうね。

松下)

それでは、そろそろ時間ですので終わりにしたいと思います。平竹先生、本日はお忙しい中をどうも有り難うございました。