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きて・見て・さわって 有機化学が死ぬほど好き!

(1-c) やる気ある学生を徹底的に伸ばす

有機化学大好き学生集まれ!

(1-b) 学生の学習支援・導入教育

有機化学を通して大学での学びを実践的に身につける

(4-b) 上回生・大学院生を巻き込む

教官−大学院生−学生のヒエラルキーをうまく生かす

文責: 平竹 潤

動画01 動画02 動画03

*動画は授業の雰囲気を伝えるものです。頁内容とのリンクは基本的にありません

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◆授業科目名:

きて・見て・さわって、有機化学が死ぬほど好き!シラバス

◆授業担当者:

◆メインテキスト:

R. J. Fessenden, J. S. Fessenden『フェッセンデン基礎有機化学』成田吉徳訳、化学同人 (1995)

◆参考書:

各学生の所属する学部の専門科目で使用される有機化学の指定テキスト

(例)

理学部: J. Clayden, N. Greeves, S. Warren & P. Wothers, "Organic Chemistry", Oxford University Press, N. Y. (2001)

工学部: Graham Solomons & Craig Fryhle "Organic Chemistry", 7th ed., John Wiley & Sons

薬学部: ボルハルト・ショアー「現代有機化学(上・下)」第3版、大嶌幸一郎他訳、化学同人(2000)

農学部: (メインテキストに同じ)

◆授業のテーマと目的:

この授業は、有機化学を基礎から学ぶ1回生に対し、

  • 1.実物にふれ、体を通して納得しながら理解するという実体験を伴う生きた有機化学に触れること
  • 2.知識ではなく有機化学の考え方(ロジック)を学ぶこと
  • 3.みずから主体的に学ぶことの意義とおもしろさを、有機化学の学習を通して実感させること

の3点をテーマとして、有機化学の基礎を確実に身につける機会を提供しています。そのため、少人数ポケットゼミの機動性を生かし、 実物に触れる機会や実験、会社見学など、体験型の学習をふんだんに取り入れ、「有機化学はおもしろい」という原体験を植えつけ、 有機化学に対する強い動機づけを与える一方で、学んだ知識や考え方を確実に身につけるための具体的方法を提案し、勉強したい人は いくらでもできる環境を整えています。この授業を通して、有機化学の基礎を学ぶことはもちろん、有機化学という学問を通して、学生みずからが 主体的に学び、「与えられる知識」から「みずから考え行動する学問」へと発想を転換させることを最大の目的としています。

◆協力者(敬称略):
塩野香料株式会社 化学研究所生体分子機能研究部門 I
大学院生 加藤正宏 (D1)、奥津令子 (M2)、舘 哲史 (M2)、宇野哲也 (M1)、川島朋子 (M1)、 齋野廣道 (M1)、玉井道子 (M1)、 中川祐一 (M1)、安川 剛 (M1)

この授業は、もともと有機化学が好き、というポテンシャルの高い1回生を本格的な有機化学へと導入するためのもので、 その知的興味をさらにかき立て、やる気のある学生を徹底的に伸ばすことを目的にしていますが、単なる有機化学の エキスパートコースではありません。すなわち、この授業のポイントは、有機化学そのものを徹底して学ぶ場を提供するとともに、 1回生に対し、大学でいかに学ぶかを、有機化学を通して実戦的に身につける機会を提供している点にあります。

有機化学を学ぶにあたって最も大切なことは、@知識ではなく、有機化学の考え方(ロジック)を学ぶこと、A実物にふれ、 体を通して納得しながら理解することにより、実体験を伴う生きた学問に触れること、B学んだ知識と考え方を、エクササイズを通じて 確実に身につけること、の3点です。特に、はじめて大学で有機化学を学ぶ1回生にとっては、これまでの受験用の化学にありがちな、 「暗記モノ」から 180 °発想を転換し、個々の現象(知識)のみならず、その背後にある共通の原理、考え方(ロジック)に目を向け、 それを考えることの楽しさ、奥深さに触れる必要があります。そのためには、まず、実際の化学物質を「きて、みて、さわって」、実物に触れ、 納得しながら体で理解することが何より大切です。というのは、実物に触れることにより、「化学はおもしろい」という強い原体験が形成され、 その体験が核となって、さらなる知的興味を呼び覚まし、一見、どんなに難しい(あるいは退屈な)ことがらに出会っても、つねに自分の 原体験と結びつけることにより、その「化学的意味」を見失うことなく、知的興味を維持することができるからです。単なる暗記とは異なり、 実体験と結びついた知識や考え方は、深いレベルで長く記憶にとどまり、自らが新しいものを創り出す段階に達したとき、本当の力を 発揮してくれます。この原体験の有無が、化学に対する学びの姿勢を決めるといっても過言ではありません。しかし一方で、将来、自らが 新しいものを創り出すためには、化学の知識が体に染みこみ、自分の手足のごとく確実に使いこなせる道具とならなければなりません。 そのため、1回生の段階から徹底したエクササイズを必要とします。この授業では、以上述べた3つの点を実践するために、

  • 受講生全員が予習をし、テキストを読んで内容を理解していることを前提にして授業を進めました。すなわち、網羅的な内容説明ではなく、 有機化学の基本的な考え方やロジックを説明するのに適したトピックスを各章の中から取り上げ、他の物質や化学現象との関連性を中心に、 物質横断的に(時には章をとびこえて)有機化学の考え方を説明しました。
  • 毎回、何らかの形で実際の有機化合物に触れる機会を設け、簡単なデモ実験を通して、各章の内容を具体的に体験する機会を多くとりました。
  • 新聞、雑誌の記事から、食の安全と企業倫理、データねつ造と科学的不正(science fraud) など、化学と密接に関係した身近な 社会問題を取り上げ(最近、こういう話題には事欠きません)、化学がまさに我々の生活と直結していることを示す生きた教材としました。
  • 有機化学と社会との関わりを具体的に見るため、香料会社の見学を実施しました。
  • エクササイズを奨励し、自学自習のペースメーカーとするため、テキストの章末問題を解いて自主的なレポートとして毎週提出させ、 それを添削しコメントをつけて返却しました。

一方、新入生が大学で学ぶにあたって必要なことは、これまでの「与えられる知識」から、「みずから考え行動する学問」へと発想を 転換することです。そこで、この授業では、@目的意識(自分は何のためにこの授業を取っているか?)、A実績主義(目に見える実績を 個人ごとに問う)、B加点主義(実績をポジティブに評価)の3点をポイントに、授業の主体者は学生自身であること、学問に対して 自己責任を持つことを自覚させ、上をめざしたければ、いくらでも上をめざすことができる環境を提供しました。それを実践するため、

  • 募集の段階からシラバスを通して このメッセージを送り、授業前から学生の意識を高める工夫をしました。
  • 集まった学生には、授業計画 を配布、授業の目的と方針および計画をきちんと説明のうえ、自分がこの授業を受けるにあたっての覚悟( 自己アピール)を書かせ、 受講する学生の目的意識を明確にさせました。
  • 授業への積極的な参加(質問、発言)や自主レポートの提出など、目に見える実績を重視、それをもとに成績を評価(単位を認定) することを、最初の授業時間に伝えました。
  • .目に見える実績を加点主義で評価し(減点はしない)、かつ、最後の授業時間に、自分の実績をもとに「 自己評価」を書かせました。

最後に、授業の方法における試みの一つとして、大学院生を積極的に参加させる機会を設けました。すなわち、

  • 問題演習の自主レポートの添削を大学院生にお願いしました。
  • 実験のアシスタントを大学院生にお願いしました。
  • 香料会社の見学と打ち上げコンパに、大学院生ともども一緒に参加しました。

これは、授業者も物理的に助かるし、1回生と大学院生の間で相互に刺激しあって、1回生のみならず、大学院生にとっても きわめて高い教育的効果をもたらすことがわかりました(大学院生のアンケート)。

全体を通じての授業ポイントは、当たり前のことですが、つねに学生とのコミュニケーションを怠らず、旺盛なサービス精神で誠実に 学生と向き合い、わかるまで話し合うことに尽きると言えます。本に書いてあることや、本を読めばわかることは、わざわざ授業で話す必要はなく、 むしろ、人を通してしか伝えられないものを伝えるのが、授業の最大の役割だと思うからです。また、学生を一人前の大人として扱うことも 大切なポイントです。実際の姿はどうであれ、敢えて大人扱いすることで、学生の自覚と自立心が引き出されるからです

1-1. 方針を決める

授業をデザインするにあたり、学生が何を求めているか、どんな授業を望んでいるかを知ることが最も大切です。その点、昨年度担当した ポケットゼミのアンケートが役に立ちました( 2001 年度ポケットゼミ・アンケートより)。その結果、よかった点として、有機化合物に直接触れることで化学の面白さを再認識したこと、 身近なもの、身の回りのものと有機化学との関連性がわかったことを挙げている学生が多く、やはり多くの学生が、実物に触れることによって 有機化学への興味をかき立て、有機化学を身近なものとして理解を深めていることがわかりました。また、授業に望むものとして、 「上を目指そうと思えばいくらでも上を目指すことのできる環境」、「向学心を満たしてくれる機会」を挙げ、とりわけ、 「勉強のきっかけを与え、指針を示してくれる場」として授業を捉えている学生が複数いたことは、裏を返せば、授業では一から 全部教えてほしいとは思っていないことの現れです。これは、「必要な勉強は自分でやる、授業では導くことをやってほしい」という 自立した考えにもとづく「京大生らしい」要望として、ぜひとも考慮すべきポイントでした。

一方、教官はどんな心構えで講義に臨むべきかいう点では、同じアンケートの中で、学生が京大の授業一般をどのように見ているかが 大変参考になりました(2001 年度ポケットゼミ・アンケートより)。すなわち、授業を行う教官に対する厳しい意見が概して多かった中で、授業に臨む学生自身の 姿勢について、しっかりとした自己責任を感じさせる意見が多く見られました。たとえば、「授業では学生が主体的に学ぶべきで、 実力や内容の伴わない場合には単位を出してほしくない」とする意見です。以前から感じていたことですが、多くの学生はみずからの 置かれている立場をかなり冷静に見きわめ、我々教官が思っている以上に、しっかりした考えをもっています。逆に言えば、こうした学生が 授業を見る目はいきおい厳しくなります。このことは、ある学部の4回生を対象に、某学部・某学科の、有機化学を中心とする過去の 専門授業についての感想を聞いた結果にもよく現れています( 某学部の授業についての学生の感想・意見 )。結論として、こうした学生の抱く理想の教官像をひとことで表現すると、「プロの教官としての務めを誠実に果たす」ことに 尽きるのではないでしょうか。当たり前のことですが。

また、これまでの経験から、1回生にとって大切なことは、1.学問に対する強い動機づけ、2.徹底したトレーニング(問題演習)、 3.向学心を刺激すること、4.達成感を満たすこと、5.「与えられる教育」から「みずから学ぶ学問」へのパラダイムシフト、6. 「勉強=知識」から「学問=考えること」へのパラダイムシフト にあることを強く感じていましたので、このことを軸に、 1回生向けの有機化学として、以下のような方針を立てました。

平成14年度ポケットゼミの方針

(1)有機化学の面白さを伝える(実際の化合物に触れる、デモ実験を行う)

(2)有機化学の知識ではなく、考え方を伝える(ロジックを中心とした説明)

(3)実社会や身の回りのものと有機化学との関連性を伝える(見学、時事問題)

(4)基礎から徹底的にトレーニングする(問題演習を奨励する)

(5)向学心を引き出す(自主的なレポート提出と添削、加点主義)

(6)達成感を味わわせる(簡単に単位をやらない、目に見える自分の業績を作らせる)

(7)講義の目的、基本姿勢を鮮明にする(最初の時間にきちんと説明する)

1-2. 学生を募集する

さて、方針が立ったところで、実際に学生を募集しなければなりません。ポケットゼミは、クラス指定の科目と異なり全くの 自由選択ですから、こちらが努力していい学生を集めないと、いいクラスが成立しません。そこで、 シラバスには気を遣いました。シラバスは、 新入生がポケットゼミを選択するほぼ唯一の情報源ですが、わずか A4 1枚の紙面しかありません。したがって、ここは「宣伝」の場と割り切り、 ゼミの方針と受講の心構えを、印象に強く残るよう伝えることだけに焦点を絞りました。結果的にはこれが正解で、いい学生が たくさん集まりました(授業後の感想)。

受講登録が出そろったところで人数を数えてみると、41名の学生が受講希望を出しており、全員を受講生としてゼミに受け入れることは 難しい状況でした。しかし、抽選のような方法で受講生を絞り込むのは、学生の意欲を殺ぐような結果になりかねませんので、学生自身の 目的意識、熱意を本人に直接問い、そのレベルによって選別することにしました。すなわち、受講希望の学生に、なぜこのゼミを受講したいのか、 何を学びたいのかについて、A5 用紙1枚の「 自己アピールを書いてもらい、ゼミの初日(4月19日)に持参してもらうことにし、その旨の 掲示を出しました。掲示を見た学生は、 全学共通科目の窓口で「受講希望のみなさんへ」と題する プリントを受け取り、趣旨をよく読んだ上で、下半分に自己アピールを書いて、ゼミの初日に持参しました。

当日集まったのは30名でした。まず詳しい 授業計画を配り、それにもとづいてゼミの基本方針と具体的な進め方を説明しました。いくつかの化合物や分子模型を用意し、 実際にさわって、においを嗅いで、実際のゼミがどのような形で進められるかをデモンストレーションしました。その後、自己アピールを その場で書く学生のために時間を与え、書き上がったところで提出させました。実は、過去の経験から、30名程度なら何とかゼミに 収容できることがわかっていましたので、その時点で、自己アピールの内容によって受講生を選抜する必要は、とりあえずはなくなりました。 しかし、学生には悪いけれど、そのことは告げずに、自己アピールを提出させました。

提出された自己アピールは、まさに驚きの連続でした。ほとんどすべての学生が、A5 版の用紙にびっしりと自己アピールを書き込み、 化学が好きになった経緯、有機化学に対する特別の思い入れ、このゼミで何を学びたいか、自分の目的は何かが、きわめて明快に、力強く アピールされていました(自己アピール(抜粋) )。そこには、大学で思う存分、好きな化学を勉強したいという強い向学心と、暗記モノではない本当の学問ができるという期待に対する 熱い思いがほとばしり、驚きを通り越して、感動的ですらありました。自己アピールを書くにあたって、あらかじめ、志望動機や受講の 目的などいくつかのポイントが示してありましたが、ほとんどの自己アピールは、こちらから与えたポイントをすべて網羅した上で、 自分の進路における有機化学の意義を明確に位置づけ、きわめて理路整然と論を展開したもので、起承転結がはっきりしており、技術的にも 完成度の高い文章でした(京大の新入生の文章力を見直しました)。自己アピールは、もともと、受講生を選抜するために課したものでしたが、 その必要がなくなったかわりに、思わぬ宝の山に遭遇することになりました。それは、彼らが切々と思いを綴った文章から、現在の高校の 化学教育が抱える問題点が浮き彫りにされたこと、そして、皮肉にも、その中から、何が彼らをしてこれほどまでに化学に向かわせる きっかけになったのかというヒントが得られたことです。すなわち、多くの学生が異口同音に述べた不満の一つが、「高校での化学(受験の化学) は紙に書いた暗記モノばかりで、実物に触れる機会も、本当に知りたい化学の中身を知る機会もなかった」という点です。驚くほど、学生は 「化学」に飢えていました。そして、そのような状況の中でも(あるいは、そのような状況だからこそ)、心ある先生が見せてくれた 本物の化学が、学生に深い感動を与え、長く記憶にとどまり、果ては、化学の道に進むきっかけの一つにもなったという事実です。これこそ、 現在の化学(科学)教育が抱える問題と、我々が何をなすべきかを鋭く突いた意見と言えるでしょう。大学の教養教育における化学も 例外ではありません。我々は、本当に、学生を化学に向かわせるに足る、深い知的感動を与えているのでしょうか? 学生を学問に導く 本物の化学とは、何なのでしょうか? こう考えはじめると、その答えを模索することが、自然と、このポケットゼミの第2の目的に なってしまいました。

さて、自己アピールから得られた貴重な意見を集約すると、以下のようになります。

・ これまで暗記モノとして学んできた化学反応の本質に触れたい(ロジック)。

・ これまで紙の上でしか知らなかった化合物の実物に触れたい(実体験)。

・ 本当に化学が好きな人たち、化学に思い入れのある人と知り合いになりたい。仲間と議論したい。気軽になんでも質問できる場がほしい。

これは、幸いにも、1-1 で述べたポケットゼミの当初の方針に合致するものでした。そこで、これらの点を授業に具体的に反映させるために、 以下のような実施要領を決めました。

(1)毎回、必ず、実際の物質に触れる機会を多くとる。

(2)知識ではなく、ロジックを中心に説明する。ただし、ロジックだけに片寄らないよう、ロジックの理解に役立つような物質、 サブジェクトを選んで実演、実物に触れながらロジックを説明する。

(3)化学の目でものを見る機会を多くとる(生物、身の回りの物質、高校までに出てきた化学反応など、なじみのあるサブジェクトで)

(4)質問しやすい環境をつくる(時間前、終わってからできるだけ質問を受け付ける、レポートの中で質問することを奨励する)

(5)仲間と議論しやすい環境をつくる(メンバーズリストを作る、グループ学習の奨励)

自己アピールを書かせたのは、結果的に、学生自身の目的意識を明確にさせるのにきわめて有効であったばかりでなく、 学生が何を望んでいるかを具体的に知ることができたという点で、非常に有効な方法でした。これはぜひおすすめします。

さて、自己アピールを出した学生は、すべて、受講の目的が明確で、意欲も十分と判断されましたので、30 名全員に受講許可を出し、 その旨を掲示しました(受講許可のお知らせ )。また、A5 版のカードを配って、そこに自分の自己紹介やプロフィール、連絡先などを書いて、持ってきてもらうようにしました。坂田先生、 および私の分も含めて、全員の分がそろったところで、まとめてコピーし、メンバーズリストとして全員に配るためです(実際には、 第5週めあたりに配っています)。自分の顔を覚えてもらうために、プリクラの写真を貼ることを勧めたのですが、みんな妙に恥ずかしがって、 結局、プリクラの写真を貼ったのは、私一人になってしまいました(プリクラを撮影したのは、はじめての経験でした。やり方が よくわからないので、そのへんにたむろしていた茶髪で超ミニ、ルースソックスのジョシコーセーに聞いたら、とても親切に教えてくれて、 何かうれしかった記憶があります。変なオジサンと思われたかも知れませんが)。

4月26日の2回目から、通常のクラス授業(計 11 回)を行いました。また、通常のクラス授業以外に、6月28日には、 大学院生をティーチングアシスタントとしてグループ実験を行い、また、7月9日(火)には、課外授業として、塩野香料株式会社の工場と 研究所を見学に行きました。

2-1. 日常の授業

4月26日から7月18日まで、合計 11 回のクラス授業は、テキスト(フェッセンデン 基礎有機化学)に沿って、1章から順に行いました。 1章あたり、およそ2回の授業で終える進度で進みましたので、全 19 章あるテキストのうち、カバーできたのは、最初の7 章まででした。 しかし、もともとこのテキストは、コアとなる部分が 15 章までで、それを1年かかって読破するというのが一般的な使い方ですので、 その意味では、予定のところまで進んだ計算になります。

授業自体は、きわめてオーソドックスなスタイルの有機化学の講義ですが、少人数ゼミの特徴を生かし、

(1)毎回、さまざまな有機化合物を持参し、通常の教室でできる範囲の簡単なデモを行い、実物を触れながら有機化学の考え方、 ロジックを説明する

(2)各章の章末問題を自主レポートとして提出させ、添削して返す

ことを授業の2本柱としました。

さまざまな有機化合物を「きて、みて、さわって」というのは、このゼミの名前のもとにもなった「売り」の一つで、実物をさわりながら 体で納得して理解するというのは、有機化学のロジックをより深く確実に理解し、深く記憶に刻みつけるという意味で、実に効果的な方法です。 以下に、そうした授業の具体例を2例紹介します。

(例1)水素結合と化合物の物性について (例2)化合物の極性を目で見る

さて、このようなやり方で、勝手気ままにテキストをつまみ食いしながら授業を進める一方、学生にとっては、テキストをくまなく読み、 有機化学の基礎を一から積み上げる、地味で根気のいる努力が必要です。そのためには、有機化学の場合、徹底した問題演習が最も効果的ですが、 限られた授業時間の中で、それを行うのは不可能です。そこで、学生のクラス外での自主的な学習を奨励、それを徹底してサポートする方法を 採りました。すなわち、各章の章末問題を自分で解いて、それを自主レポートの形で提出、添削して返すという作業です。レポートを提出するのは 義務ではない、というところがミソです。学生にとってみれば、義務ではない、というところが気が楽だし、出したら出しただけ自分の実績かつ 実力となって跳ね返ってくるというのは、楽しくてやる気の出る形式です。人間はあまのじゃくですから、「別に出さなくってもいいんだよ」 などと言われたら、何か出してみたくなるのが人情です(逆もまた真なり)。しかし、本当に期待していたのは、一度出したら味をしめて、 また出したくなるようなシステムです。すなわち、レポートを提出する(問題を解く)ことが、いかに楽しい作業で、いかに自分の 勉強に役立つか、すなわち、有機化学の知識と考え方を身につけるのにいかに有効な手段であるかを具体的に知らしめれば、おのずとレポートは 出てくるはずです。したがって、一度提出したら、必ずリピーターになるよう、いろいろ工夫しました。その最大のポイントは、丁寧な添削です。 これまで、授業で科されるレポートの多くが、出したら出しっぱなしでフィードバックがなく、自分が丹精込めて書いたレポートがどういう評価を 受けているのかわからず、どこをどう直せばよりよいものになるかのフィードバックも得られず、そもそも、まともにレポートを 見てもらっていないかも知れない(その可能性は大いにある!)、という点が学生にはきわめて不評だということを、かねがね聞いていました。 自分が一所懸命書いたレポートが、教官の「積ん読」で終わっていたら、それこそ、悲しいじゃあーりませんか!! そこで、逆に、学生が 「えっ!?」と驚くほど丁寧に、徹底的に添削してみたらどうだろうか、というのが、そもそもの発想でした。実は、この試みは、私が、 京都教育大学において、過去2年ほどにわたって有機化学の非常勤講師を務めたときの経験から、きわめて高い学習効果があるという確信を 得ていた方法でした。しかし、問題は、30名近くの学生が、ひょっとしたら毎週、毎週、提出してくるかもしれない膨大なレポートを、 ひとつひとつ丁寧に添削することができるかという点です。このとき、ヒントを下さったのが、本ゼミを共同で主催された、坂田完三教授です。 坂田先生のアイデアは、「1回生の提出する自主レポートを、研究室の大学院生に添削させたらよかろう」というものでした。これは大変な 妙案で、1回生も喜ぶ、大学院生も勉強になる、我々も助かる、まさに一石三鳥の方法でした。そこで、早速、研究室の院生を集めて、趣旨を 説明し、協力をお願いしました。レポートの添削といっても、単なるマルつけではだめで、フェッセンデンのテキストの範囲を超えた、かなり 高度な内容にまで踏み込んで、レポート用紙が真っ赤になるほどのコメントをつけて返すくらいの気魄がこもってないと、真の知的感動には 届きません。また、それくらいの覚悟で臨まないと、添削する側としても得るものは少ないため、協力してくれる院生をしっかり引き込んでおく 必要があります。そこで、 「レポート添削のお願い」と題したレジュメを配って、経緯とレポート添削の趣旨をくわしく説明しました。上述のように、単に 「添削のお手伝い」くらいの軽い位置づけだと、日々、自分の研究が忙しい院生にとっては、添削を引き受けたおかげで面倒な雑用が 増えただけという結果になりかねず、いきおい、おっつけ仕事になってしまう恐れが十分にあります。したがって、添削という作業が、 有機化学そのものを勉強するよい機会になること、添削の作業を通して、さまざまな学びの機会が得られることなど、添削する側にとっても 具体的なメリットがあることを説明しました。それと同時に、決して強制はせず、あくまでもボランティアで、できる人だけやってほしい、 研究が忙しくなったらいつやめていいし、いつ再開してもいい、という条件を提示しました。また、誤りを無くし、添削ミスを避けるため、 院生が添削したレポートは、必ず、教官が再チェックし、万全を期す態勢をとることも約束しました。このバックアップ態勢が 安心感を与えたのか、幸い、修士1年を中心とする院生は、この試みの趣旨をよく理解してくれ、修士1年から博士1年まで、約8名の協力者を 得ることができました。そこで確認したことは

1.単なるマルつけや間違いさがしではなく、関連する情報やより高度な説明をつけ加えることを第一義とする。コメントのないページが 1ページもないのが理想。

2.質問には丁寧に答える。 1 を聞いてきたら 10 教えるつもりで。

3.「美しく正しい科学的日本語」のトレーニングの場として捉える。解答にはそのような日本語を要求するとともに、添削者の書く説明も 「美しく正しい科学的日本語」を心がける。

4.その過程を通じて、受講生の興味をかき立て勉強の励みとする。

5.その過程を通じて、添削者自身の勉強の励みとペースメーカーとする。

6.誤ったコメントや事実と異なる回答を書かないために、あいまいな時は必ず調べる。

7.添削は赤ペンで、再チェックは青ペンで行い、区別する。

8.添削に責任を持つため、末尾に添削者のサインと日付を入れる。

といった内容でした。これで、仮にたくさんのレポートが出てきても、きちんと対処できる目処が立ちました。しかし、いかに 添削の態勢を整えても、一度もレポート出してくれなかったら、その良さをわかってもらう機会はありません。 リピーターになってもらうためには、とにかく「お店」に来てもらわなければならないのです。そこで、少々、姑息な手段ではありますが、 最低1回はレポートを提出することを、単位認定の条件にしました。そのことは、初回の授業で説明し、 授業計画の中にも明記しておきました。

さて、結果的に、自主レポートの提出、添削という方法は、かなりの成果を上げ、半期で提出されたレポートは、 のべ 126 章分にのぼりました。平均して一人 4.2 章分の問題演習をこなした計算になります。普通、1章ごとにレポートを出しますので、 合計 12 回のクラスで、一人平均4 つのレポートを出したことになります。授業3回に1回の割合です。1回のクラスで提出される レポートの数は、平均で 10 編あまり。添削してくれる院生の数が8名でしたので、1週間でひとり1編程度のレポート (問題数にして平均 20 題)を添削すればよく、ほどよい量だったことは幸いでした。しかし、それを再チェックする教官は2名。 助手の先生や、ドクターコースの学生に協力を依頼することはあっても、1週間で10編のレポートの再チェックを、毎週毎週 12 回も続けるのは、 はっきり言って、なかなか厳しいものがありました。しかし、一から教官が添削するのに比べたら、まるで天国のようなもので、 院生による添削は、本当に助かりました。

レポート提出のチャンピオンは、忘れもしない N くん。彼はなんと、一人で合計 19 編のレポートを提出しました。これは、 19 章あるテキストを、まるごと1冊、全部やり終えたことを意味します(半期で)。しかも、彼の場合、やり方が徹底していました。まず、 化合物の命名法に異常な興味を示した彼は、授業時間中に紹介した命名法の専門書を手に入れ(たのだと思う)、章末問題に出てくる化合物を、 逐一、すべて IUPAC 命名法に従って命名しようと企て、レポートに克明に書いて提出してきました。もちろん、命名法を問う問題は 一部にはあるのですが、彼の場合、そんなことはお構いなし。どんな複雑な複素環であろうが、どんなおどろおどろしい 縮合多環系炭化水素であろうが、それこそ絨毯爆撃的に、何でもかんでもIUPAC 命名法に則って、片端から命名していったのには 正直言って参りました。それも、回を重ねるごとにだんだんエスカレートし、しまいには、核酸や糖などの生体関連分子まで IUPAC 命名法で 命名しようする始末(普通、そんな化合物、IUPAC で命名せえへんっちゅうねん!)。一番困ったのは、添削をしている院生たちです。命名法は、 ある意味、実に面倒くさいもので、多くの学生にとっては頭痛のタネです。それが、いざレポートを開いてみると、こともあろうか、 とんでもない化合物のIUPAC 命名法で紙面が埋まっていたりするわけです。これには院生も泣いたようです。かつて、一度も開いたことのない 命名法の本をひもとき、一つ一つ自分で勉強し、先輩に教わりながら、苦労して添削してくれたようです。しかし、これこそが、我々が 意図していた、相互学習の形態でした。すなわち、まっ白だった命名法の本は、いつの間にか手垢でまみれ、どのページもまんべんなく開いて 読んだような形跡ができ、深夜にラボで院生どうしが、真剣な顔をして縮合多環系の命名法について議論をしている姿….。もし、 レポート添削というような機会がなければ、はたして、このような状況が起こり得たでしょうか? このことは、命名法に限りません。 ポケットゼミの期間中、レポートの対象になったほとんどすべての章で、一事が万事、この調子で事が運び、おかげで院生は、 さまざまなレベルの有機化学のテキストをたくさん読んで復習することを余儀なくされ、命名法や擬似不斉など新しいことをたくさん勉強し、 それを、人に説明できるようになるまで自分の中で消化し、最後にそれを易しい文章表現で的確に説明するトレーニングを積むことになりました。 「教えることは、すなわち、学ぶことである」という格言を、まさに地で行ったようなものです。N くんのレポートは、 そのすさまじい分量と相まって、すぐに院生の間で話題になり、名前しかわからない神秘性も手伝って、その人物像をめぐり、昼食時の 話題になったほどです(のちに、6 月 28 日のグループ実験で、一部の院生は N くんと、めでたくご対面することになりました)。

毎週、授業後にレポートを受けとり、10 編あまりのレポートの束ごと係の院生に渡して、適当に分けて添削してもらっていましたが、 添削した院生は、末尾に署名することになっていましたので、リピーターになると、名前を通じて知り合いになって、署名とともに、 ちょっとしたコメントを添えて励ましたり、質問に答えたりといったやりとりが頻繁に行われるようになりました。そのうち、院生の間には、 いつしか「贔屓筋」のようなものができあがり、「この子の面倒はわたしがみる」みたいな、妙な連帯感ができあがり、逆に、1回生の方から 「ご指名」がかかったりして、結構、楽しくやってくれたようです。やはり、教官と違って、院生は年齢的にも近いし、若い学生どうしで 話も合うようです。しかし、何より特筆すべきは、院生のコメントの中に、「私はかつて、こういうやり方で覚えた」とか、 「ここは間違えやすいから気をつけて」とか、自分の経験を踏まえた、きわめて実戦的で役に立つアドバイスが多く見られた点です。これは、 院生が、自分の経験をもとに、初学者を親身になってサポートしている証拠であるとともに、院生自身が、1回生のレベルまで下りていって、 初学者の視点で的確なアドバイスを行っていることを意味します。すなわち、年齢的にも経験的にも、初学者からは遠く離れてしまった 我々教官にはなかなか真似のできない、きわめて貴重なアドバイスです。事実、院生のコメントを読んでいて、「なるほど!」と 膝を叩きたくなるユニークなたとえや、教官が思いも寄らない箇所で学生がつまずいている事実が見いだされ、院生が1回生を教える価値を 目の当たりにした思いです。知識や経験という点では、たしかに教官の方が院生を上回るでしょう。しかし、「若さ」という一点において、 オジサン教官は決定的な負けを喫しているのです。これには、どう逆立ちしても、かないません。

さて、レポート添削には、もう一つ余得があります。それは、院生自身の勉強に、教官が積極的に関与できたという点です。すなわち、 院生が添削したレポートを教官が再チェックしたとき、いくつか大事なポイントが抜けていたり、間違っていたりします。その時は、 すかさずメモしておき、また、後からこちらでレポートに書き込んだコメントのうち、大事な点があれば、それもコピーしておきます。そして、 それをまとめて院生に渡します。すると、彼らは、自分の添削が間違ってないか、何か抜けている点は無かったか、とても気にしていますので、 すぐにコピーして全員に配り、みんな真剣に復習してくれるのです。もし、自分一人の勉強だったら、たとえ間違っても自分だけの問題で 済みますが、添削は相手のある仕事です。どうやら、顧客がいるおかげで、常に責任ある仕事を意識し、信用を大切にする習慣ができたようです。 信用に傷をつけてはいけない、という緊張感が、責任ある姿勢につながったのではないかと思います。このへんの事情は、当の大学院生自身の 口から語ってもらうのが、一番よいでしょう。幸い、この大学授業ネットワークの趣旨を説明したところ、彼らの快諾を得ましたので、 このプロセスで院生自身が何を感じ、何を得たのか、彼ら自身の口から語ってもらうことにしました( 大学院生の感想)。

さて、このように丁寧に添削されたレポートは、次週のクラスで授業前に返却しました。このとき、よくある学校の風景のように、 ひとりずつ名前を呼んで、教壇まで受けとりに来させたりはしません。こちらから学生の席に出向くのです。しかも、 大げさなジェスチャーを交えて、Very good!! などと言いながら、わざと、みんなの目の前でレポートを返す。これは、 ちょっと恥ずかしいけれど、一種のパフォーマンスです。クラスメートの実績を目の当たりにしたら、否が応でも発奮させられるでしょう。 それをねらったものです。しかし、本当に質の高いレポートが多かったこともあり(これについては後述します)、Very good!! と言うのは、 決してうそではありません。むしろ、いい仕事をした学生は、みんなの見ている前で大きく誉めてやることで、ますますやる 気を出してくれると思いますし、そういうポジティブな評価は、回りの人間を勇気づける力を持っています。したがって、 わざとパフォーマンスたっぷりでレポートを返すのです。ところで、余談ながら、近頃の学生は、感情をあまり顔に出しませんね。 レポートを返してもらっても、多くの学生は表情ひとつ変えない。うれしいのか、うれしくないのか、最初、さっぱりわかりませんでした。 「ひょっとしたら、うれしくなかったんやないんかな」、「みんなの前で very good! などとやったのがあかんかったんとちゃうやろか」などと、 傷つきやすいオジサン教官はシクシク心を痛め、気の晴れない1週間を過ごして次週のクラスに出てみると、その学生から新たに提出された レポートは、やたら気合いが入っていたりする。やっぱり嬉しかったんや、とほっと胸をなで下ろし、これが彼らにとっての最大限の 感情表現なのだと了解する。

さて、最後に、レポートの質についてコメントします。言うまでもありませんが、レポートの価値は量ではなく、その質です。前述のごとく、 平均して週10編のレポートが提出され、学生一人当たり、3回に1回はレポートを出したことになりますが、その多くが、回を追うごとに 尻上がりに内容を充実させ、結果的に、きわめて高い質のレポートがコンスタントに出てくる結果となりました。もっとも、レポートといっても 問題演習の解答ですから、それほど高度な技術を要するわけではありません。しかし、問題が要求している解答だけを書くのではなく、 そこに至った経緯や、考え方(ロジック)を含めて丁寧に説明を加えたり、すべての化学反応について電子移動を克明に書いて 反応機構を示したり、化合物の IUPAC名をすべて書くなど、それぞれの学生が自分で工夫し、問題で問われている以上の作業を自分で見つけて 積極的に取り組んだという意味で、きわめて質の高いレポートでした。なぜ、そのような質の高いレポートを作成することができたのか、 その最大の理由は、添削にあると思います。すなわち、学生は、最初は、問題演習の要領がわからないものですから、 問題に問われていることだけを解答してきます。しかし、添削の段階で、問題とは全く無関係に、電子の移動や命名法、面白い物性とその応用、 身近なものに含まれる成分などが、事細かに書き加えられて返ってくることになります。それを見た1回生は、「なるほど、問題演習とは、 単に問題を解けばええというもんではないんや。問題を利用して、いくらでも勉強する方法はあるんや」と納得します。すなわち、 添削そのものが、いかに勉強すべきかを具体的に指し示す実例となっているわけです。これが、単にマルつけだけの添削はするな、 と院生に注意を与えた最大のねらいです。また、レポートを強制しなかったことも、レポートの質を高めるという観点からは、 よかったと思います。と言うのは、レポートの質を高めるための大きな要素が、レポートを楽しむということだからです。自分の勉強に 有用であることはわかっていても、強制されると、どうしても楽しめません。しかし、ボランタリーなものだと、常に自分で仕事量を コントロールすることができ、自分が仕事を追いかけている状態をキープできます。ここに心の余裕が生まれ、創造的な仕事に向かう 精神エネルギーが生まれるのです。その状態は、実に心地よく楽しい。楽しいと能率も上がる。本当に質の高い仕事は、楽しんで行なった仕事から 生まれることは、どなたも経験がおありのことだと思います。フレッシュマンの1回生なのですから、勉強させ実績を上げることよりは、 勉強を心底楽しむ経験をたっぷり味わわせてやった方が、のちのち、はるかにプラスになると思います。また、レポートを楽しむことにおいて、 大きな力になっているのは、他者との関わりです。すなわち、1回生にとってみれば、添削してくれる大学院生であり、教官。 添削する院生にとってみれば、添削を待ち望んでいる1回生。お互いに会ったわけではないけれど、レポートを通して他者との 信頼のきづなが見えているからこそ、楽しくがんばれるというのは、確かにあると思います。自分ひとりの勉強だったら楽しかったかどうか。 そうしたやりとりが、人間にとって最も深いレベルの喜びをもたらすものであることは、異論のないところでしょう。事実、院生と1回生は、 レポートを通して、さまざまなやりとりを楽しんでいたことは、以前にも書きました。1回生にとって、こうした形態のサポートは、 いろいろな質問を、レポートを通して個人的に聞けるという、うれしいシステムでもあると思います。

たくさん仕事をやる、質の高い仕事をやる、しかも、楽しくやる。これら3つを同時に達成することは、一見、不可能のように思えます。 しかし、今回、自主レポートの提出と添削という試みを実行してみて、それが決して不可能ではないことを実感しました。

2-2. グループ実験

6月28日に簡単な実験を行いました。目的は、我々が日常のラボで行っている実験ときわめて近い形態で実際の反応を経験すること、および、 TA として実験を手伝ってくれる院生と1回生とがじかにやりとりする場をつくることの2点です。合計30名の1回生が参加する実験を一人で 面倒見るのは到底不可能ですので、研究室の大学院生(M1 および D1、合計4名)に TA として手伝ってもらいました。実験内容は、 実験レジュメにあるとおり、 無水酢酸を用いて p-ニトロベンジルアルコールをアセチル化するという基本的な反応で、試薬も安全で、薄層クロマトグラフィー (TLC) で 反応が容易に追跡できるため、実験設備のない通常の講義室で行うには最適の反応のひとつです。そのうえ、さまざまな化合物 (塩基、酸、求核剤)が触媒として作用するため、それらの触媒作用を通して反応機構を考え、深い議論ができるすぐれた反応系でもあります。

多くの学生にとって、化学という学問が今ひとつピンと来ない理由の一つに、分子というものが目に見えず、あまりに微視的で とらえどころのない存在であるという点が挙げられます。ところが、TLC という分析法は、きわめて簡単な原理と操作にも関わらず、物質を 「目に見える」スポットとして確認し、分子の挙動を目で見ながら理解することができるという点で、大変優れた方法です。すなわち、 反応が進行するにつれて反応物が減り、生成物が新たなスポットとして現れるため、物質が変化したことを直感的に理解するには最適で、 スポットの位置(移動度、Rf 値)が反応物と生成物の極性の違いに対応していること、TLC の展開溶媒の極性に応じてスポットの移動度が 変化すること、そして、これらの挙動を分子の構造と関連づけて理解できることなど、きわめて示唆に富んだ分析法です。さらに、 ニトロ基のついた芳香環が紫外線を強く吸収し、紫外線ランプにより、蛍光剤を含む TLC プレート上で、化合物が明瞭な影(スポット) として見えることも、化合物の構造と分光学的挙動の関係や共鳴を理解するのに役立ちます。TLC 1枚あれば、高価な装置など使わずに、 これまで教科書で学んできた有機化学の理論の多くを定性的に確認し、分子というものをより身近に体で理解することができます。実際、 研究の現場でも、TLC は最も身近で簡便な分析手段で、反応の全体像や物質の基本的性質を直感的につかむのになくてはならない分析法です。 以上のような理由で、学生実験には、ぜひ TLC を取り入れることをお勧めします。

さて、以上のような実験を行うために、1回生を6,7人ずつ4つのグループに分け、院生4名(TA)が1名ずつ各グループに入って 実験を指導、院生と1回生とがface-to-face でやりとりしながらグループごとに実験を進める形態をとりました。TA をつとめてくれる院生は、 すべて、1回生のレポート添削をやってくれている学生でしたので、これまでレポートを通してしか知らなかった本人に会えるということで、 双方とも少なからず期待していたようです。さて、実験は、あらかじめ作成したシナリオ( 実験の手順)に沿って 進めることだけは決めていましたが、最初に実験の概要について全体説明をしたあとは、各グループの TA に一切お任せでした。教官は、 各グループの間をぶらぶら回りながら、ときおり茶々を入れる程度で、TLC の原理からキャピラリーの扱い、スポットの打ち方から展開のしかた、 紫外線ランプによるスポットの観察、Rf 値の計算方法まで、それこそ、手取り足取りで実験のイロハから指導し、時間配分を考えながら 手際よく実験を進めてくれたのは、すべて TA である院生です。小さなグループですから、それこそ息のかかるような距離で1回生と 接することになります。当然、1回生からいろいろな質問が出ますが、院生はそれにも逐一答えなければなりません。しかし、お互いの顔を 見ながら相手の息のかかる距離でやりとりすることは、お互いの年齢が近いことともあいまって、初対面の院生と1回生はすぐにうち解けて、 雑談まじりに楽しく実験を進めてくれたようです( 院生の感想(実験))。 それとともに、レポートを通して、お互い名前は知っていましたから、旧知に会ったような感じだったかも知れません。

TA である院生は、当日必要とする化合物、試薬、溶媒、反応容器(サンプルバイアル)、ガラスピペット、TLC プレート、ガラスキャピラリ、 ピンセット、洗浄用アセトン、検出用紫外線ランプなど、多くの器具や試薬類をそろえるばかりでなく、反応の予備実験を繰り返して周到な 準備を進めてくれました。実際、このような簡単な実験でも、どのくらいの量の触媒を入れるのが適当か、反応時間やスポットを打つタイミング、 展開溶媒の極性など、さまざまな予備実験が必要で、それらのほとんどを、TA である院生に任せました。実際、彼らはかなりの専門知識と技術を 持っており、日常のラボワークでは教官を凌ぐテクニックや隠し技を持っています。したがって、せっかく院生を参加させるなら、その技術と 専門知識をフルに活用しない手はありませんし、それ相応の扱いをすべきです。その方が、彼らにとってもやり甲斐があるし、彼らの自尊心を 刺激していい仕事をしてくれます。これは院生を参加させるにあたって大切なポイントです。院生は、研究で忙しい毎日を送っていますので、 それを犠牲にしてでも手伝ってもらうためには、やりがいのある仕事でなければなりません。もし、教官がすべてを準備して、マニュアル通り こなすだけの単なるお手伝いだったら、研究で忙しい院生にとっては迷惑千万な話で、面倒な「やっつけ仕事」にもなりかねません。しかし、 自分の専門知識と技術を活かした責任ある仕事を任されるなら、彼らにとっては十分にやりがいのある仕事となるはずです。そこで、 およその実験プラン以外の、細部にわたる条件検討や予備実験は、すべて院生に任せました。そして、TA を募集する時からそのようにお願いし、 それを納得した上で、できる余裕のある学生にだけ参加してもらいました。そのかわり、グループ内での実験の進め方、説明の仕方は 全くの自由で、彼らの創意工夫に期待しました。結果として、各院生の個性豊かな説明方法や工夫の凝らされた実験の進め方は、こちらの期待を 大きく上回るもので、当初予定していた実験以外にも、その場で思いついた対照実験や1回生から出た疑問を検証する実験など、グループごとに 自由な発想で創意工夫に富んだ試みが次々となされ、大変示唆に富んだよい実験ができたように思います。もし、教官が直接指導したとしたら、 これほど自由な発想で議論ができたかどうかは疑問です。というのは、1回生と大学院生とは、「学生」と「教官」の間に見られるような 上下の関係が希薄で、同じ学生ということもあり、お互いの間にきわめて近しい関係が築けます。したがって、1回生にとって、院生は 頼れる先輩であり、しかも遠慮なく素朴な疑問をぶつけることのできる身近な存在です(1回生の感想「大学院生が関与するのはどう思うか?」 参照)。そして院生も、1回生と同じ目線で彼らに接する結果、率直で自由な議論がたくさんできます。彼らのやりとりを見ていて、 このような関係こそが、真の学びを生む土壌となることを確信しました。

1つのグループに TA を専属で1名配置することには大きな意味があります。院生にとっては一つのグループを任されているという 責任があってやり甲斐がありますし、1回生にとっても、自分のグループの面倒を見てくれる人がはっきり決まっていた方が接する時間が長く、 その結果、うち解けやすくて質問もしやすいというメリットがあります。そして何より、お互いの距離がきわめて近く、院生と1回生とがフルに 90 分間、密にコンタクトできたことが最大のメリットです。逆に、はっきり分担を決めないで全体を何人かの院生で見るようなやり方では、 お互いの関係が希薄なままで終わってしまったことでしょう。

1回生と大学院生が密にコンタクトするというのは、実に深い意味を持っています。というのは、普通、1回生にとって、大学院生と 接する機会はほとんどありません。しかし、1回生は、自分たちが近い将来進むであろう研究の現場を知りたがっていますし、その現場で まさに仕事をしている院生の話を聞きたがっています( 「大学院生が関与するのは どう思うか?」参照)。事実、院生と1回生とは、実験を進めながら、研究テーマや日頃の研究生活について、雑談まじりに多くのことを 語り合い、情報交換していました。これは、1回生にとって、研究の現場を知るための生きた情報そのものです。逆に、院生にとっては、 自分たちの専門知識と技術を活かして1回生を教えることを誇りに思うでしょうし、自分がまさに身をおく研究の現場を後輩に伝えることに 、ある種の使命感や喜びを感じるでしょう。それに、ゼミで一生懸命勉強し、かなりのレベルに達している1回生の姿を、日頃から レポート添削を通して知っていますから、その本人に直接会うことで、院生自身も相当の刺激を受けているはずです( 院生の感想(実験) 参照)。このように、学年の異なる学生どうしが互いによい刺激を及ぼしあう効果は、日頃の授業で受けるそれとは比較になりません。 これこそが、学生どうしが密にコンタクトする最大の意味です。教養教育の中に、ぜひこうしたシステムを取り入れることを提案します。


<写真>グループに分かれ、指導するする筆者、院生たち

2-3. 企業見学

前期の講義期間が終了する直前の7月9日に、大阪にある塩野香料株式会社の研究所および工場の見学を実施しました( 見学の案内)。この見学は、 2000 年度にはじめてこのポケットゼミを立ち上げた時、担当教官の一人である坂田教授の紹介と先方のご好意により実現したもので、それ以来、 毎年実施しているメインイベントの一つです。「きて、見て、さわって」という本ゼミの基本方針が示すとおり、化学物質を手に取り、 匂いに接する機会が多かった本ゼミでは、香りという観点から化学が社会に役立っている現場を見てみようということで、香料や香水を扱う 専門メーカー、塩野香料株式会社に見学を依頼したところ、本ゼミの趣旨をよく理解して下さった研究員の方々のご好意で、通常の見学とは 全く異なる、非常に教育的示唆に富んだ内容の濃い見学が実現した次第です。

企業の見学を予定していることは、あらかじめ シラバスにも記載し、授業中にも何度かアナウンスしました。日常の授業でも、化合物のサンプルとして、ゲラニオールや β-フェネチルアルコール、酢酸イソアミルなど、実際に香料として使われている物質をたくさん見せたり嗅がせたりしましたので、おのずと、 匂い物質に興味を持っていたのも事実です。また、それに加え、後述するように、見学を予定している学生からは、香料に関する質問を あらかじめ受け付け、それを先方に送っておきました。これら一連のプロセスを経て、学生の側にも、見学に対してそれなりの覚悟と 雰囲気ができあがっていきました。また、見学には、ゼミの1回生ばかりでなく、我々の研究室の大学院生や、他学部の3,4回生、 他大学の学生も何人か参加しました。これは、本教官が、講義やゼミ、非常勤講師での活動を通したつながりの中から希望者を募ったものですが、 その意図するところは、学年や所属学部、あるいは、所属大学の異なる学生が接する場を提供し、そこで学生どうしがさまざまな刺激を 及ぼしあうことを期待したものです。そのため、見学終了後にはビアガーデンでの打ち上げコンパもセットしました。実際、 これだけ多様な学生が集まる機会というのはなかなかなく、また、最近の学生は、教官と一緒に酒を酌み交わすというような機会 (あるいは習慣?)もあまりないようで、学生にとっては、普段の大学生活では経験できない貴重な時間だったのではないでしょうか。事実、 コンパではその目的は十分に達成されたように思います( ある学生の感想)。

実際の見学では、香料というものがいかに我々の生活に深く入り込んでいるか、その現実を目の当たりにして、教官自身も目からウロコが 落ちるような思いでした。学生が最もお世話になっているコンビニの食品、日用品には、おそらくすべて香料が使われ、その香りは、 天然あるいは人工合成した香料物質の精密なブレンドによって作り出されたものであることは、学生にとっては衝撃的だったに違いありません。 そして、そうした香りを作り出す作業は、精密な化学分析と人間の高度な官能検査の産物で、香料そのものが ハイテク化学のかたまりであるという事実は、香料自体がきわめて身近な存在であるだけに、化学がどのように社会に役立っているかを 理解するのに最も効果的だったと思います。

さて、学生にとって、この企業見学で得た最大の収穫は、おそらく、現場で働く化学者・技術者の誇りとプロ意識ではなかったかと思います。 見学をお願いした塩野香料は、我々の見学の趣旨をよく理解して下さり、手間暇かけて見学を準備し、普段は見ることのできない 調香師の仕事場まで見せてくれる徹底ぶりで、学生10名のグループに二人ずつ技術者がついて、逐一、丁寧に説明して回って下さったことは 、学生に、単に「設備を見た」とか「製造現場を見た」とかいう次元とは全く異なる、深い感銘を与えたものと思われます(もっとも、 今回の参加者はすべて大学関係者であることも大切な点で、当然のことながら、同業者やその関係者(就職内定者を含む)はお断り との条件でお引き受けいただきました)。しかし、こうした先方の理解と熱意を引き出すためには、こちらにもそれなりの努力が必要です。 そこで、見学に先立ち、学生に、「香料に関して聞いてみたいこと、日頃から疑問に思っていること」を質問として提出するように指示しておき、 先方の HP やパンフレットも紹介しておきました。その結果、学生からは、多数のユニークな質問が出て、それらをまとめて見学の2週間ほど前に 先方に送りました。中には、「人工的に作った香料を使って消費者をだましているというような罪悪感を感じたことがあるか?」などという 不躾な質問もありましたが、すべての質問は自分の名前を明記しておくように指示していましたので、こうした一見不躾とも思える質問も、 実は学生の本心から出た率直な疑問であることがよくわかりましたので、自信をもってそのまま先方に送りました。もし匿名だったら、 いくら「学生の特権」といえども、このまま先方に送るのは躊躇したかも知れません。実際、先方も、名前が明記された上での質問なら、 真摯に受け止めてくれるようです(当該の質問にはさすがに答えにくそうでしたが)。なお、先方からは、こうした学生の疑問や質問を 事前に送ってもらったおかげで、学生の興味の対象を的確に掴むことができ、当日の見学スケジュールを組む上で役立ったと聞いています。実際、 見学の当日は、これらの質問に答える形で香料に関するさまざまな説明がなされ、その質問がきっかけになってさまざまな質疑応答が 展開されるという場面が多々ありました。

学生、特に、就職とはあまり関係のない1、2回生が参加する企業の見学は、往々にして、物見遊山に出かけるような いい加減なものになりがちで(自分にも経験があります)、遅刻や無断欠席が出たりして、引率する教官はやきもきすることがあるものですが、 今回の見学では、遅刻や無断欠席はゼロ、当日の見学もきわめて積極的で、学生からは活発に意見や質問が飛び出し、説明して下さる 研究員の方ともうち解け、帰り際には、先方の研究所で使われている、会社のロゴ入りの白衣までちゃっかりいただいて帰る学生もいたりして、 学生、引率する教官ともに大変満足できる見学となりました。これは、見学を受け入れてくれる企業サイドにとっても大切なことで、 貴重な時間を割いて準備するからには、見学者に十分満足してもらえること、そしてそれを通じて、よい企業イメージがアピールできることを 願っておられるはずですので、それを実現することが、見学を成功させるポイントです。そのためには、見学する学生を「お客さん」扱いせず、 彼ら自身が見学の主体者であるという認識を強く持たせることが必要です。そして、彼らを見学の主体者として全面に立て、先方との橋渡しをし、 彼ら自身に先方との信頼関係を築かせる手助けをすることが、教官の大切な役割であることを痛感しました

企業の見学では、実際の工場や製品など、大学では決して見ることのできないものに触れるのも大きな意味がありますが、学生にとっては、 現場で働くプロに接し、その人から学ぶ有形無形のものこそが、最も価値のある生きた勉強です。そして、このような見学が、当事者どうしの 深い信頼関係の上に成り立ったものであるという事実も、ぜひ学んでほしいことがらです。見学に参加した学生は、そのことに 気づいているかどうかわかりません。しかし、ただその場に身を置いて体験することは、無言のうちに学ぶものです。人と接することによって 学ぶこと、信頼関係がいい仕事を生むこと、それは、大学院生が実験に参加したり、レポートの添削を通じて1回生の学びに関与することにも 共通することがらで、これを体験することが、本ポケゼミの目的の一つでもあります

3-1. 成績評価の基本方針

本ポケゼミでは、以下の3つの基本方針に従って成績を評価しました。

  • @ 目に見える実績を評価する(実績主義)
  • A 実績をポジティブに評価する(加点主義)
  • B 自分のあげた具体的な実績にもとづいて、自分が単位に値するか自己評価する

@における実績とは、授業中での発言や質問、議論への積極的な参加のほか、問題演習レポートの提出回数とその内容、実験や見学などへの 積極的な取り組みなど、学生が授業中および課外での学習を通じてあげた具体的な成果と活動の総体を指します。ただし、授業への単なる出席は、 実績とは見なしませんでした。したがって、授業での出席は一切チェックしていません(ただし、平均的な出席率は90% くらいだったと思います)。 そして、このことは、最初の授業で配った「 授業計画」に明記し、これを納得した上で受講してほしいこと、自分の「実績」はきちんと記録しておくことを伝えておきました。

Aの加点主義は、すべての実績はポジティブに評価し、決してネガティブには評価しないという方針で、@の実績主義と不可分のものです。 すなわち、内容の伴った実績は求めるが、それはあくまで加点の対象で、減点の対象にはしないという方針です。たとえば、授業中での発言や レポート(実績)が少なくても減点にはならないし、質問内容がとんちんかんでも、レポート内容がお粗末だったとしても、決してそれを 減点の対象とはせず、つねに加点方式で評価します。したがって、たとえ最悪でも加算されないだけで済み、うまくできたらそれだけ 評価が上がり、決して減ることはないというシステムです(実際には加算ゼロなどというケースはありませんが)。したがって、はじめは全員が 実績ゼロの地点からスタートし、あとは、やったらやっただけ実績(=評価)が上がります。しかし、自分から積極的に努力して実績を 上げなければ、いつまで経っても評価はゼロのまま、ということも意味します。また、主たる実績の一つである問題演習のレポートを 奨励するため、1編もレポートを提出しない場合は単位を認定しないことを条件としました。したがって、決して強制ではないにせよ、 学生にとってはかなりのプレッシャーになっていたことは事実です。そして、半期の授業が終了した時点で、それまでの実績を総合的に判断して、 「優、良、可、不可」の4段階で絶対評価しました。もっとも、一番大切なのは量や努力ではなく、質(能力、学問レベル)ですので、 レポートの量や発言回数、努力のあとなどは二の次で、非常に優れたコメントを書いたり述べたりした学生や、もともと有機化学のレベルが 高い学生には、文句なしに「優」を与えました(ただし、量や努力の大きさは、質と高い相関があります)。この評価方式も、始めの授業時間に 全員に説明し、その趣旨をよく理解し納得した上で受講してもらいました。しかし、後述するように、出世のかかったサラリーマンならいざ 知らず、実績を上げるために勉強する学生など皆無で、彼らは、ただ、自らの知的好奇心と勉学意欲のおもむくまま自由に勉強し、その 結果として大きな実績を上げ、高い評価を得ていきましたので、このシステムの意義は、単に、「勉強することには上限はないんやで」という メッセージを送ったに過ぎないのかも知れません。

最後の自己評価は、ゼミの途中から採用した方法で、最初の 授業計画には明記していません(2003 年度からは明記しています)。ただし、授業の終わる2週前に、「 単位の認定について」と題する プリントを配り、単位認定の基本方針と、自己評価の位置づけ、評価の観点などを伝えました。自己評価は、論旨のしっかりした、まとまった 分量の文章を書くことになりますので、この機会に、学生の「書く能力」を高めてもらうためのトレーニングをしてもらおうと思いました。 そこで、内容ばかりでなく、日本語の文章そのものを評価の観点に入れることにし、そのことを明記し、「美しく正しい科学的な日本語」を 書くためのヒントと参考書をあげておきました。自分の単位がかかっていると思うと、学生は真剣になって自己評価を書くでしょうし、 内容ばかりでなく日本語が評価されるとなると、「美しく正しい科学的な日本語」を意識せざるを得ません。学生に正しい日本語を 書いてもらうのには絶好の機会でした。この結末は、あとでご紹介します。

3-2. 成績評価の実際

実際にこのような評価を行うにあたり、最も難しかったことは、「実績」や「評価」というものが、往々にして、きわめてあいまいで主観的な 性格を持っていること、そして、学生にはそれぞれ個性があるという事実です。すなわち、授業中における発言や積極的参加と言っても、 誰が何回発言したか、何を言ったかなど細かいことはいちいち記録できませんし、それがどのくらい「積極的」だったかなど、客観的に 評価できるわけがありません。また、人前で発言するのを何とも思わないヤツもいれば、沈思黙考型の学生もいます。早い話、声のでかいヤツは 目立つし、目立つヤツはいきおい評価が高くなりがちです。したがって、授業への積極的参加とか、授業中の態度に対する評価など 実にいい加減で、「あいつ、がんばっとるなー」くらいのものです。しかし、この判断はあながち間違ってはいません。なぜなら、 声がでかいヤツは、それなりによく考えているし、なにより積極的に授業に参加しているのは間違いありません。また、その逆も真なりです。 問題は、「わかってはいるけど黙っている」ヤツで、これはなかなか見抜けません。しかし、「わかってはいるけど黙っている」のは あまりよいことではないというメッセージは、つねに送り続けました。というのは、いずれ社会に出て、国際舞台で活躍するようにでもなれば、 「黙っていること」は評価されないことを意味するからです。したがって、少々恣意的ではありますが、「声のでかいヤツ」は、それなりに高く 評価しました。

一方、問題演習のレポートは、誰が、いつ、どのような内容のレポートを何編出したかについて完璧な記録を取ることができましたので、 きわめて信頼性の高い資料となりました。しかし、レポートにおいても、学生の個性が顕著に現れます。単に問題を解いて、 センター試験のように解答を記号で書いてくるやつ、反応機構や電子の動きをこまめに書いて、答えに至る思考のプロセスが逐一わかるような 解答を書いてくる丁寧なもの、端から順番にすべての問題を解かないと気が済まない律儀なもの、つまみ食いのように答えやすい問題だけを 解いてくるずぼらなもの、関連した事項を調べ、出典を記してまとめてくる論文調のもの、すべての化合物を命名しないと気が済まないオタクなど、 きわめて多様で個性あふれるレポートが出てきました。単に問題演習の解答だけなのに、これほど個性があらわれるとは驚きでした。もっとも、 院生による添削のプロセスで、解答を記号で書いてくるようなデジタルなレポートは ケチョンケチョンにけなされ、徹底的に直されましたので、何回かの添削の後には、ほとんどのレポートが、電子の動きを克明に書き、 答えに至る思考のプロセスや理由をきちんと説明し、命名法は英語で書くなど、テキストの範囲を超えて、問題に問われていないことまで 自分で探して答える非常に充実したレポートとなりました。これは、評価と同時に、レポートの添削を通じて、どのような勉強をすべきか、 どのようなレポートを書くべきかを具体的に知らせてやるフィードバックが行われた結果です。添削を受けた1回生自身も、このフィードバックが 学習を進める上で大変役に立ったと感想を述べています( レポート添削についての感想)。本来の評価とは、次によりよいものをつくるためにフィードバックされ、活用されるべきもので、 成績をつけるためのものではありません。したがって、全くフィードバックのない「一発レポート試験」みたいなものは、本来の評価からは かけ離れた存在で、学生にも評判が悪い。このことは、2-1. 日常の授業でも述べたとおりです。その意味では、 授業期間中に何度もレポートのやりとりを繰り返す添削方式は、学生の努力と達成度を確実に把握しながら、フィードバックによって学生自身の 学習に活用するという、本来の評価を行う上で理想的な方法です。

ところで、授業中は至って寡黙で目立たない学生が、レポートになると途端に「雄弁」になり、どんどん質問を書いてくるケースもあって、 授業中だけの評価があてにならないことを痛感しました。「人は見かけによらへんなあ」というのが実感です。その意味では、レポートは、 実績のみならず、人物をポジティブに評価するのに大変役立ちました。ただ、字のきれいな学生は評価が高くなりがちで(その逆も真なり)、 その意味では、女子学生は概して字がきれいで、小ぶりで薄めの美しい筆跡が何となく心地よく(オジサンの発想)、評価に少しバイアスが かかっていたことは認めざるを得ません(これくらいの楽しみは許して下さい)。

しかし、いくらこういう小市民的な楽しみを見いだすと言っても、このような評価を半期にわたって続けることは、かなりの労力を伴います。 事実、30 名そこそこの受講生で、しかも、院生にレポートの添削を手伝ってもらったからできたようなもので、もっと人数が増えると 、間違いなくお手上げ状態でした。評価にあたって最も大切なのは、相手の顔と名前を覚えることです。学生の顔が思い出せないと、 自信をもって評価が下せません。したがって、本当に評価しようと思えば、「お互いの顔が見える」30 名が限度ではないでしょうか。 学生の評価は教育の実を上げるための基本ですから、本当に教育の実を上げるのに適正な人数というのは、やはり 30 名が限度でしょう。 大講義室で 100 人規模の学生を相手に講義をして、その成績をきちんと評価できるかと言われれば、難しいと言わざるを得ません。第一、 学生の顔を覚えられません。顔と名前もわからない相手を評価するなど到底不可能に思えますが、いかがでしょうか?

3-3. 自己評価について

学生に、自分の上げた具体的な実績にもとづいて自己評価を書いてこい、というのは、ある意味で相当厳しい評価方法ですが、当の学生は、 こちらが拍子抜けするほどあっけらかんと、ごく当たり前に受け止め、しかもきわめて誠実に自分の実績を評価してきました。もっとも、 このことを最初に伝えておかなかったのは少しアンフェアーでしたので、2002 年度は、提出の2週間前に、自己評価の観点や参考文献を含めて、 かなり詳しく説明し、納得を求めました( 単位の認定について)。学生からは、「エーッ!」という抗議混じりの声が上がるかと思いましたが、予想に反して、これも 静かなものでした(学生は感情を表にあらわさないだけかも知れませんが)。しかし、もし、直前になって、突然、自己評価を書いてこい、 などと言い渡したとしたら、相当の反発はあったかも知れません。そこで、2003 年度は万全を期して、ゼミの初回にそのことを伝え、 授業計画にも明記するようにしました。

さて、提出されてきた自己評価の内容は、こちらの期待をはるかに上回るものでした。ほとんどの学生は、自分が提出したレポートの回数や 内容、こちらのコメント、授業中での発言内容、その他、ありとあらゆる「実績」を克明に記録し、集め、それらを綿密に分析して、自分が 単位に値するかどうかを、渾身の「科学的日本語」で表現しアピールしてきました。このような文章を書かせると、往々にして、授業に対する 単なる感想文になりがちですが、今回の場合、そうした「感想文」のたぐいは少なく、あったとしても、本来の「自己評価」のあとに、別項目 で感想を付けてくるスタイルがほとんどでした。すなわち、自己評価の本論は、事実(=自分の実績と努力)にもとづき、あらゆる観点から自説 (=単位の認定に値すること)を主張する論文のスタイルに近く、きわめて説得力に富んだものでした。事実の分析や論の構成など内容に 関するものばかりでなく、それを的確なことばで表現するスキル、見やすくまとめる構成力、相手を説得する文章力など、学生の「書く能力」 についても、認識を新たにした思いです。そのいくつかを例として紹介します(自己評価 (例1)(例2)(例3)(例4)(例5)(例6)(例7) )。

学生は、自分の上げた実績をきわめて正当に評価し、なるほどと思わせる主張を展開しましたが、その反面、実績もないのに不当な 主張をする輩は皆無でした(それくらい根性の座ったずうずうしいヤツがいてもいいのですが)。むしろ、心証を悪くしたくないせいか、 自分の実績や能力を過小評価する傾向があるくらいでした。特に、授業の最初に提出させた「自己アピール」で大言壮語したヤツほど、 自己アピールに勢いがないのは可哀想なくらいでした。その反対に、最初の自己アピールで主張したことを、しっかり達成できたと 確信している場合、「自分は単位を得る資格がある。単位を出さないなら暴挙というべきである」などという強烈なパンチをかましてくるヤツも いて、思わず吹き出してしまいました。しかし、それも、実績を考えればなるほど正当な主張で、こちらもそれをよくわかっていますから、 笑って「優」を出しました(学生もそれを見透かしていたような気配もあります)。しかし、ここから読みとれる重要なことは、学生は 自分の書いた自己アピールの内容をよく覚えていて、それにもとづいて自分の達成度を評価してくるケースが多いこと、そして、 自己アピールというものは、自分で書いたものだけに、自分の記憶に深く残り、半年間にわたって、彼らの勉学の動機づけになっていたという 事実です。はじめに自己アピールを要求したとき、こちらにはそのような意図は全くなかったのですが、はからずも、学生は、無意識のうちに 自己アピールを自分でそのように使っていたというわけです。したがって、「自己アピール」と「自己評価」とはセットで実施すると、 より高い教育的効果が期待できると思います。

さて、学生の書いた自己評価は、実際の成績をつける上では、資料のひとつに過ぎません(「単位の認定について」にそのことを 明記しています)。しかし、学生の自己評価は、こちらの評価と不思議なくらいよい一致を示し、両者の違いに悩む必要は全くありませんでした。 学生の方がやや過小評価する傾向があったことはすでに述べたとおりですが、その逆は皆無で、ほとんどの場合、こちらの思っている 評価どおりのことを自己評価に書いてきました。その意味では、学生は自分のことをよく分かっているというのが正直な感想です。

ところで、自己評価に講義の感想を書くな、ということを強く伝えておいたにも関わらず、講義の感想のようなものをつらつらと 書きならべてくる学生がちらほらいて、しかもそれが、講義をほめる内容だったりすると、ついつい、いい点をあげたくなるのが人情で、 これには困りました。ただ、この手の「自己評価」が男子学生に多かったことは幸いで、女子学生にやられたらイチコロだったかも知れません (笑)。

3-4. このような成績評価が学生にどのように受け入れられたか?

実績主義、加点主義をわざわざ看板に掲げた以上のような評価方法は、おそらくあまり例のないやり方だと思いますが、当の受講生には、 どのように映ったでしょうか? このことには非常に興味がありましたので、最後の授業で取った学生のアンケート(後述)の中から、 成績評価あるいは加点主義、実績主義に関するものを拾ってみました( 実績主義、加点主義に対する感想 )。アンケートの問い自体は、「このポケットゼミの授業について、よかった点、悪かった点、これからも続けてほしい点、改善すべき点など、 感想を含めて自由に書いて下さい」というもので、授業全体に対する正直な感想を文章にしてもらったもので、約 30 名×2年分の雑多な感想を、 全く取捨選択することなく羅列したものです( 講義全体の感想)。整理されてはいませんが、学生の生の声を反映するという点では、すぐれた一次資料です。

さて、成績評価をどうとらえているかという観点から、いくつか意見を拾ってみますと、「学生の自主性、積極性を求める形式はよい、 京大らしいゼミだ」とか、「甘いゼミが多い中で、こういう厳しいゼミは、勉強する姿勢をつける上で有用だった」とか、「自学自習の 本来あるべき姿を見いだした」など、自学自習の厳しさを肯定的に受け止める意見が圧倒的で、こちらが面はゆくなるほどでした。一方、 このようなやり方を否定的にとらえる意見は皆無でした(これらの感想は、都合のよい意見だけを抜き出したものでは断じてありません!)。 京大に入って間もない1回生が、こういうやり方を称して「京大らしいゼミ」だとか「京大の学風」だとか表現しているのには、 思わず笑ってしまいましたが、彼らは彼らなりに「京大らしさ」を理解し、それを美意識として持っているということは、つねづね、 京大が何かというとアピールしてきた「京大の学風」が、世間ではまんざらでもない評価を受けているんや、と小さな驚きがありました。

しかし、常識ではありますが、このような評価方法が学生に肯定的に受け止められるのは、レポートの添削や質問に対するきめ細かい対応など、 個人を単位として、徹底したアフターケアがあるからです。学生にとっては、フィードバックされ活用できるからこそ、厳しい評価や基準でも 肯定的に受け止め、勉学の糧とすることができるのです。もし、学生の努力や実績に見合うだけのフィードバックがなかったら、学生の心は 次第に授業から離れ、教官から離れ、最悪の場合、学問から離れて行ってしまうでしょう。このことは、次のような学生の言葉に象徴されています。

「予習したら予習した分だけ反応が返ってくる。これは学ぶものにとって大変うれしいことだった。」

実績を求める厳しい評価は、それに見合うだけのアフターケアと不可分のものだということを肝に銘じておかなければなりません。これは、 学生にとってばかりでなく、教官にとっても相当厳しい要求を突きつけることになります。したがって、この厳しい要求を満たせない場合、 教官にとって最も安易な解決法は、学生に対する厳しい評価を放棄してしまうことです。すなわち、双方が暗黙のうちに取引をして「出来レース」 をしてしまうことです。談合と言ってもいいでしょう。これが、いわゆる「楽勝科目」の構図です。これこそが、大学教育をダメにする 諸悪の根元と言っても過言ではありません。

本ポケットゼミの感想をまとめるにあたり、できるだけ多くの視点から率直な意見を集めるため、受講生である当の1回生のみならず、 レポート添削や実験を手伝ってくれた大学院生にも感想を求めました。そして、それらを、できるだけ生の声に近い形で収録することにし、 授業の感想とします。

1. 1回生の感想

1回生には、授業後のアンケートで、講義全体の感想を書いてもらい(講義全体の感想)、その中から、次の観点についての感想をまとめました。

また、前述のように、「自己評価」に添えて授業の感想が綴られたものがいくつかあり、これらは、授業後のアンケートとは異なり、よく考え、 よく練られた文章で書かれたしっかりとしたものですので、別途、まとめました( 自己評価に添えられた感想 )。

2. 大学院生の感想

大学院生には、レポートの添削と実験のアシスタントをお願いしましたが、それぞれの活動についての感想を求めました。

3. 教官の感想

プレセレクションの重要性
ゼミのタイトルに「…. 有機化学が死ぬほど好き!」などという文句を入れたおかげで、本当に「有機化学が死ぬほど好き」な学生が 集まりました。しかし、むしろ、シラバスでゼミの基本姿勢と受講の心構えを鮮明にしておいたことで、目的意識の明確な学生がたくさん集まり、 そのことが、充実したゼミを行う上でたいへん大きな要因になったと思います。

「自己アピール」の効果
これは、あとから考えてみると、学生の目的意識を高め、緊張感を持続させ、目標をもって主体的に学ぶという点で、絶大な効果がありました。 また、教官の側も、学生の動機、興味の対象、これまでの授業で不満に思っていることなどがよくわかり、授業の方針や計画を立てるのに 大変役立ちました。

「自己評価」の効果
これもきわめて有効。「自己アピール」とワンセットで実施すると効果絶大。自分の書いたことはよく覚えているので、長期間にわたって 学生自身の学習動機となります。

大学院生が授業に関与する意義
まず、1回生が自分の進路や研究生活についての生の情報を得る大変貴重な機会となります。1回生自身、そうした情報を得たがっています。 しかも、大学院生は年齢も近く、同じ学生であるため話しやすいというメリットは大きい。これまで、1回生と院生が接する機会が ほとんどない現状を考えると、「ただ一緒にいて話をするだけ」でも大きな意味があると思います。ましてや、レポートの添削などの 学問を通した交流は、添削する側、受ける側の双方に大きな刺激を生み、勉学意欲という点で、双方に絶大な教育的効果があります。また、 教官にとっては、院生がレポート添削を手伝ってくれるのは大変助かると同時に、院生自身の勉強にもなり、とやかく言わなくても、 レポート添削をペースメーカーにどんどん勉強してくれるので、まさに一石三鳥。

予習を前提とした授業について
「受講生全員が予習をし、テキストを読んで内容を理解していることを前提にした授業」というのは、タテマエとしては「常識」、しかし、 現実離れしていると言われるかも知れません。しかし、現実はどうであれ、そういう「前提」のもとに実際に授業を始め、その方針を 貫いてみた結果得られたことは、意外にも、受講生のほとんどが予習をするようになった、という事実です。もちろん、最初は、予習もなしに 授業に臨む学生が多くいましたが、「予習しなければ授業がわからない」?「みじめな思いをする」?「結局、自分が損をすることに気づく」?「 予習をしたら授業がよくわかり楽しい」?「予習をしっかりするようになる」、というサイクルを経て、おのずと全員が 予習をするようになったようです。また、学生とて、他の勉強や、クラブ活動、キャンパス外の活動に忙しい身ですので、すべての授業で完璧に 予習がなされたわけではありませんし、個人によって大きな差があったことは事実です。しかし、大切なことは、個々の学生が、限られた時間を 自分でやりくりし、自分の責任において、それぞれのレベルで予習や自主レポートに取り組んだ点です。「受講生全員が予習をし、テキストを 読んで内容を理解していることを前提にした授業」という、いわば当たり前の方針を貫くことは、学生に、「自分のことは 自分で考えて決めなさい」というメッセージを送り続けることであり、結果として、学生の自己責任と自立を促すことになると思います。 もちろん、そのためには、レポートの添削やコメント、質問に丁寧に応じるなど、学生に対する個別できめ細かなアフターケアが必要ですが。 しかし、逆に、予習なしでも惨めな思いをせずにすむようなレベルの授業を行い、単位も簡単に取れてしまうようでは、学生の危機感や意欲を 殺ぎ、自己責任や自立を妨げる結果を招くと思います。このような授業を、学生は内心、軽蔑しているようです。また、高度な内容を追うあまり、 あるいは、学生の自己責任を問うあまり、「わかるヤツだけついてこい」、「わかりたかったら自分でやれ」式の突き放した授業は、多くの 学生の目には、放任、無責任と映るようです。すなわち、「教官として導く義務を果たしていない」と感じるようです。学生につかず離れず、 そのさじ加減は大変難しいのですが、少なくとも、予習を前提とすることで、授業の進度も学生の理解も確実に早くなり、より効率的に授業が 進められ、その結果、限られた時間の中で、より深くおもしろい知的領域に踏み込む時間的余裕が生まれ、ますます学生の知的興味に 応じることができるようになるのは事実です。

予習については、ただ1点、学生にはかわいそうなことをしました。あれもこれもと欲張って話しているうち、最初に立てた授業の計画が 大幅に遅れてしまい、次の授業でどこをやるか、授業計画を見ても予定がつかめない状態が続きました。これは、予習する身になってみると 実につらい。次の授業でどこまでやるか、毎回、はっきり予定を伝えておくべきでした。

ポケットゼミは特殊か?
ポケットゼミは、「こんな授業をしたい」という希望をもった教官が自主的に開講し、その内容を見て、「こんな授業なら受講したい」と 思った学生が自ら希望してやってきます。また、人数も、10 名からせいぜい 20 数名の少人数であることから、普通の一般科目、専門科目とは 大いに異なります。確かに、少人数であること、教官も学生も、お互いやる気のある者どうしが集まるということは、授業を成功へと導く 2大要因をはじめから兼ね備えていると言っても過言ではありません。しかし、だからと言って、ポケゼミでの成功は特殊事情で、 一般の大人数の講義(クラス指定の全学共通科目や必修科目)に当てはめることができないと考えるのは早計でしょう。確かに、ポケットゼミは、 形態は特殊ですが、大学の授業本来の意味においては、一般の授業と何ら変わるところはないはず。クラスの人数など、戦術的には何とでもなると 思います。要は、どのような教育をするかというビジョンと、それを実施する教官の覚悟の問題だと思います。

化学の原体験について
授業からは少し離れますが、高校から大学に入ってきた1回生に接して感じたことをコメントします。

本ゼミでは、「有機化学が死ぬほど好き」な学生が集まり、1回生とはいえ、大変なエキスパート集団を相手にするハメになりました。 有機化学に関して、彼らははじめから高校生離れしていて、たとえば、グリセロールという物質をさわった時のこと、正しい化学名 (IUPAC 命名法)を教えようとしたら、こちらが問うまでもなく、「1, 2, 3-propanetriol ですね」(正解!)などという答えが返ってきたり、 立体化学についても、プロキラリティーの概念を正確に知っている強者もいて、こいつらタダ者ではないと思いました。そこで、あまりに 不思議だったものですから、「そんなに難しいこと、どこで勉強したんや?」と聞きましたら、「化学の啓蒙書(講談社ブルーバックスなど) を読みあさった」、「自分で有機化学の専門書を読んで勉強した」との答え。「インターネットで勉強した」などという答えもありました。 さらにもう一歩踏み込み、「ほんなら、なんで、それほど化学が好きになったんや?」と問いますと、多くの学生が、「高校あるいは中学時代に、 化学の先生がちょっとしたデモ実験をやってくれたり、実物をさわらせてくれたことがきっかけで、化学が好きになった」と答えたのには 驚きました。実物に触れるというほんの小さなきっかけが、彼らにとっては非常に大きな動機づけとなり、これほどまでに深く化学の勉強へと のめり込ませる原動力になっていたのです。このことは、彼らがはじめに書いた「 自己アピール」でも、くり返し出てきた ポイントです。これは、化学という経験学問の本質に根ざした普遍的な真理を示しているのではないかと思います。すなわち、「実物に触れ、 実体験を伴いながら学ぶ化学はおもしろい」という事実です。これを、以後、「化学の原体験」と呼ぶことにします。有機化学の 動機づけにおいては、この原体験をつくり、伸ばすことが、最も重要であることを改めて認識しました。逆に言えば、実体験から乖離した 紙の上だけの知識ほど退屈なものはなく、具体的な意味や学ぶ意義さえわからないまま、化学式や反応を知識としてだけ覚え込まされるのは 苦痛以外の何物でもありません。むしろ、化学嫌いを大量生産するには、最も効率のよい方法といってよいでしょう。しかし、皮肉にも、 この方法によって化学嫌いが大量生産されているのが、多くの中学、高校(あるいは大学の1,2年次)の実態ではないかと思うのです 。これはまことにゆゆしき事態と言わざるを得ません。