教育心理学 −授業通信(藤のたより)−
(4-d) 他の学生がどのように授業を受けているかがわかる
文責: 藤田 哲也
教育心理学 (シラバス)
(京都光華女子大学 教職必修科目。2単位。2回生配当。1997―2002年度前期実施)
藤田 哲也 (京都光華女子大学文学部)
子安増生 他(共著)『教育心理学(ベーシック現代心理学 第6巻)(有斐閣)
「教育心理学」と一口に言っても,実際には様々な関連領域から成り立っています。例えば発達心理学や人格心理学,学習心理学などです。 この授業の目的は,教育心理学に関連の深い,いくつかの心理学の領域について概観し,相互の理解を深めることにあります。ただ単に 教科書に記載されている知識を獲得するだけではなく,「教師のたまご」としての自覚を持って受講し,授業で扱っている内容が, 実際の教育場面でどう活用できるのかを常に考えながら,理論と実践のバランスのとれた教師を目指してもらいます。
この授業は,教員免許を取得するための必修科目です。現実的には,教員免許は取得するものの,教師にはならない (教員採用試験を受けない)という学生も少なくありません。しかし,たとえ職業として教師を目指さないとしても, 教員免許を取るためには必ず「教育実習」に行かなくてはなりません。そして,教育実習先の中学・高校の生徒から見れば, 教育実習生は「大学生」ではなく紛れもなく「先生」である,ということを自覚し,責任もって行動できるだけの学習意欲・ 生活態度を持たなくてはなりません。この授業では,「教育心理学」の理論・知識を伝えるだけではなく,そうした 「教師のたまご」としての自覚を持ち,それまでの「学習者」としての視点だけではなく 「教える側」の視点も獲得してもらうことをねらって行っています。教師のたまごとしての自覚を持ってもらう上で,受講生には 高い水準の受講態度を要求しています。具体的には,「出席重視」「授業中の私語厳禁」「授業中の飲食厳禁」などを徹底させています。
また,授業運営に際しては,「心理学」と名の付く科目を初めて受講する学生が大半であることも考慮しなくてはなりません。 さらには,単なる知識の丸暗記に陥らないよう,授業で扱っている内容が,教育現場で役に立つ有効な「活きた知識」になるように, 教科書に記載されている内容を,教育現場でどう活用できるのか,具体例を豊富に使って説明をしています。これには, 「実際に自分が教壇に立ったときに,その知識をどう利用するのか」を考えてもらうための方向付けという意図もあります。つまり, 教科書やプリントに書いてあることや先生の説明を理解するだけでなく,自分自身が行う教育活動に 応用できてこそ,「授業内容を理解した」といえると考えているわけです。
さて,上記のようなことすべてを受講生に求めるというのは,限られた授業時間中にはなかなか難しいものがあります。それに, 100名を超すような受講生を相手に講義を行う場合には,1人ひとりの理解度を把握するのも困難でしょう。同様に,講義科目ではどうしても 授業者と受講生の「距離」を感じやすいものです。そのせいか,授業中に質問を受け付けても,なかなか挙手してまで質問する学生はいません。 質問が出ないからといって,受講生が授業内容を完璧に理解しているとは言い切れません。
これらの問題を解決するために,「授業通信」という授業ツールは非常に有効だと考えています。 この教育心理学では 「藤のたより」(授業者である藤田の名前から取っています)という名称の授業通信を 毎週発行しています。以下では,その藤のたよりについて紹介します。
ここで紹介するのは,京都光華女子大学などで担当していた「教育心理学」の授業で毎週配布していた「藤のたより」という名称の 授業通信についてです。主な記載事項は,「前回の授業の出席率」「休講・試験日程などの連絡事項」「前回の授業の補足」「授業者から 学生への意見・アドバイスなど」「漢字の間違い探しコーナー」「授業に関係のある質問・感想・意見に答えるコーナー」「授業とは関係の ない質問に応えるコーナー」などです。
「藤のたより」の実物例[授業者ひと言]
実物例を読んでもらえればお分かりの通り,基本的には授業者である藤田が,一人称(僕あるいは私)で記述した文章で構成されています。 言い換えれば,1人ひとりの学生に語りかけるような表現をするように心がけています。これは,あくまでも授業者と受講生の間の 「直接的なコミュニケーション」を模したものにするための工夫です。
「藤のたより」の後半部分はQ & Aになっています。学生からの質問や意見に一問一答形式で回答していますが,この質問はどこから 収集しているかというと,毎回の授業の終了時に記入を求めている「感想用紙」から, ということになります。毎回の授業において,必ず何か,自由に記入して提出するように,と求めています。 この感想用紙の提出によって出席を把握していますから,記名式ということになります。また,感想用紙の上半分は, 「授業評価アンケート」になっており,こちらも毎回の評定を求めています。
感想用紙[授業者ひと言]
話は「授業通信」からそれますが,授業評価アンケートについて……大学で実施される授業評価アンケートは,授業期間の終盤頃に一度だけ行う, ということが多いのですが,当該の授業の改善につなげるという本来の目的を考えれば,毎回実施する方が効果的です。さらには, 最終回付近での実施では,過大評価された評定値になる傾向があるようですから,実際の毎回の授業を正しく反映したものとは多少の ズレが生じています。詳しいことは,藤田(2000)の論文をお読みください。
1.形成的評価と授業内容の補完
大学における講義形式の授業では,基本的には教員から学生への一方的な情報伝達が中心となりがちです。さらに,授業中に質問を 受け付ける機会を設けても,挙手してまで質問をする学生は多くはないのが,日本の大学の特徴の一つでしょう。しかし質問がないからといって, 学生の理解が十分に要求水準に達しているかというと,そうとは言い切れないのが現実です。要するに,授業担当の教員と学生との間に意見を 交換したり,質問や疑問に受け答えするという機会がなければ,学生の理解度を把握する形成的評価も 困難ですし,学生の理解度にあわせて授業の運営を改善することもできないわけです。その一方で,授業時間中に学生側から活発に 質問が出ることも期待できないために,他の手段を講じて学生からの質問や意見などを集約し,それに回答するという機会を設ける 必要があったというのが,授業通信「藤のたより」を発行することになった動機の一つです。簡単にいえば、 授業内容の補習や補足の機会を提供することがねらいの一つ目です。
2.授業者と学生との相互行為
「藤のたより」の2つ目のねらいは,学生と授業者の相互行為の構築にあります。上記の通り, 講義形式の授業において一方的な情報伝達のみが行われていた場合,学生と授業者の間の心理的な距離が広がってしまいます。講義形式の 授業では,ごく一部の学生と会話することはあっても,受講生全体とコミュニケーションをとることは難しいと感じます。しかし, そのような心の交流のあった方が,教員への興味・関心を通じて,あるいは信頼関係をベースとして,授業内容それ自体への関与も高まることは 容易に想像できるでしょう。つまり,受講生の一人ひとりと直接会話してコミュニケーションすることは困難なのですが,授業通信という 手段を通して,「会話のキャッチボール」を成立させたいというねらいがあったのです。
さらに,学生の抱いている授業自体への不満や,授業運営に対する疑問について,授業者としての信念を説明する場を設けたいというのも, 授業通信を発行しようと考えた理由の一つです。例えば,ここで紹介している「教育心理学」の授業では,初回の授業時間に 「イントロダクション」として,半期の授業内容の概略の説明を行うとともに,授業の運営方針についても説明し,理解を得るために時間を 割いています。具体例として「私語の禁止」を挙げてみましょう。なぜ私語はいけないのか(→周囲の受講生の学ぶ権利を侵害しているから) などについて,授業者としての考えを述べ,その日の授業の終了時にアンケートとして,授業者の考えに賛同するか反対するか,反対ならば なぜ反対なのかを記入し,提出することを求めます。その結果として,例年ほぼ95%以上の学生が授業者の授業方針に賛成してくれるのですが, 中には納得しない学生もいるわけです。例えば「授業内容について分かりにくい点を隣の人に確認するくらいはいいではないか」というような 理由を添えて,「私語の禁止」の方針に反対するケースがあります。こういった意見を無視するのではなく,次の授業時間に配布する授業通信で, 賛成・反対の数を実際に集計して示し,反対の理由を書いてきた者に対しての授業者の意見を掲載します。先ほどの例でいえば「たとえ あなたにとっては授業に関する内容の私語であっても,話しかけられた方は講義を聞き逃す可能性もあり迷惑であり,周囲の受講生にとっては やはり雑音でしかないので,疑問や質問は遠慮せずに僕に聞いてください」というような回答を載せるのです。少数意見だからとか, 授業者にとって都合の悪い意見だから無視する,という姿勢ではないことを明示するためにも,そして受講生全員が納得した上で授業に 参加できるようにするために,授業通信上で授業者としての意見を述べることは,貴重な機会となっています
[授業者ひと言]
受講生からの質問には,「授業に関係のある質問・感想・意見に答えるコーナー」と「授業とは関係のない質問に応えるコーナー」というように, 2つのコーナーで回答しています。名称からもお分かりだと思いますが,前者は授業内容や授業の運営に関する質問や意見などに回答することが 中心で,後者は授業内容に限らず,受講生の悩みや教職そのものについての疑問や質問,授業者の個人的な側面(趣味や,過去の経験など) についての質問を取り上げて回答しています。「藤のたより」実物例にあるように,コーナーによって,語り口調を少し変えていますが, これは意識的に行っています。「授業に関係のある…コーナー」の方では,そこに記述されている内容は授業を補完する役割がありますから, 読者(受講生)にも授業の延長として認識してもらいたいために,「です・ます調」で作成しています(講義自体も,です・ます調で 話しています)。それに対して「授業とは関係のない…コーナー」では,「偉そうな言い切り調」で作成しています。その最大の理由は, こちらのコーナーの記述は「教育心理学」の授業者としてというよりは,授業者である藤田個人の意見として受講生に受け止めてもらえるように, あたかも両コーナーは別人が担当しているかのような演出をするためです。さらに,授業通信全体の分量は決して少なくないので,口調で めりはりをつけて,「読みやすいように」,もっといえば「読む気を起こさせるように」できるだけテンポよく,「面白く」読み進めることが できるように配慮しているつもりです。このことにより,「授業では厳しい先生」の意外な一面を知ることができ,授業者に親しみや興味を 持つきっかけとなる……ということを期待しています。同時に,「何も授業について質問や感想を思いつかない」ときにも,授業には関係ない ことであっても「何か」を感想として書く,という姿勢を受講生が保持できます。これは授業そのものへの積極的な参加を維持するという点では 重要なことであると考えています。……実は,この両コーナーのどちらでそれぞれの質問や感想を取り上げるのかは,厳密に線引きを行っている わけではありません。「内容的に授業に関係のある質問」であっても,それに対して授業者である藤田の個人的な価値観を交えて回答したいと 考えた場合には,「授業とは関係のない…コーナー」の方で取り上げ,「偉そうな言い切り口調」で回答することも少なくありません。
3.連絡事項を漏らさず伝達
授業通信の機能として,事務的な連絡事項をもらさず全員に伝達するということも挙げられます。例えば期末試験の日程や持ち込み物件, あるいは休講の予定などを予告する際に,口頭ではつい言い忘れそうなことでも,授業通信に記載しておけば,受講生と授業者の双方にとって 安心でしょう。成績評価に関わる試験やレポート課題については学生も重大な関心を払っていますが,重要事項を,毎回発行している授業通信に 載せることで「授業中に指示した」「指示しなかった」という類のトラブルも避けられます。
4.出席への動機づけを高める
「藤のたより」の実物例を見ていただければお分かりだと思いますが,「藤のたより」には通し番号(発行号)を付けています。これは, 通し番号を付けることで,欠席した回の授業通信が欠番になってしまうことを明示し,すべてを収集するためにも授業に出席しようという 受講生の心性を利用しているのです。もっとも,藤のたよりでは,前回の授業内容の補足もされていますし,重要な連絡事項も載っています。 さらには,「藤のたよりで補足したことも試験の範囲とする」と初期の段階で公言していますので,仮に授業を欠席したとしても,出席していた 友人からコピーを入手する必要はあるのですが
同じく,出席への動機づけにつなげるために,毎回,出席状況を算出して掲載しています。基本的には学科・学年別に集計しています。 実物例に記載した「出席状況」の中で,( )内に記してあるのは,名簿上の登録者数です。これと出席者数を比較すれば,例えば A学科の1回生で,前回休んだのは1名だけであることが分かりますね。前回欠席していた本人がこれを見れば,多少なりともプレッシャーを 感じることでしょうし,実際に授業終了時にそのような感想を書いてくる学者も毎年存在します。また,この教育心理学の授業においては 出席状況が成績評価の40%を占めるということはシラバスでも,初回の授業でも明示しています。毎回提出の感想用紙が出席票を兼ねていますが, 「出席状況」を掲載することは,こちらがきちんと出席を集計していることの証にもなっています。
[授業者ひと言]
毎回,受講生に感想等を書くことを求めていて気になるのが,誤字・脱字や送り仮名の誤用などです。あくまでも気がついた範囲で,ですが, 特に名指しで指摘することは避け,「誰でも同じ誤りをしている可能性がある」という前提で,訂正を行っているのが「間違い探しコーナー」 です。最初は「大学生にもなって,小学校で習うような漢字を訂正されるのも嫌だろう」と考えて放置していたのですが,あまりにも多くの 学生が似たような誤用をしてくるので,間違えた当人に対してというよりは,受講生全員に対してというスタンスで指摘しています。 教職科目でもありますし,将来の教育実習の際に,板書で間違った字を堂々と書くような愚は避けてほしいと願っています。
5.他の受講生の考え・視点を知る機会の提供
授業通信の大部分を占めているのが,「学生の発する質問に対して回答するコーナー」です。選択肢としては,授業通信という手段に よらなくても,例えば授業の導入として,口頭で,前回の質問をいくつか紹介して回答やコメントを添える,ということも考えられます。 しかしそれでは,どのような質問が学生側から提出され,授業者がどのように回答したのか,後で振り返ることが困難になります。口頭ではなく ,印刷された授業通信であれば,授業内容の復習・補完という役割を,配布された授業時間だけでなく,例えば試験の直前にも果たすことが できます。同時に,口頭で質問を取り上げる場合,あまりにも大量の質問を扱っていたら講義そのものの時間が圧迫されてしまいます。その点, 授業通信として配布すれば,受講生は後で時間のあるときに読めばよいので,授業時間そのものは新しい授業内容に有効に活用できます。 また別の選択肢として,受講生各自の質問に対して,個別に回答し,返却するということも考えられます。しかしそれでは, 「他の受講生がどのような視点で授業を受けているのか,どのような疑問を感じているのか」を知る機会がなくなってしまいます。 授業通信で多くの質問や感想を取り上げている理由は,「自分以外の視点の獲得」を促進することにも あるのです。例えば,ある回の授業を聞いた時点では質問を思いつかなかった学生も,翌週に配布された「藤のたより」に掲載されている他の 受講生の質問を読むことで,「こんな観点から考えれば,より深い理解ができるのか」ということに気づいたり,「この質問には 自分も答えられない。理解不足であった」ということに気づくことができると思います。また,同じ授業を聞いても,受講生によって感じ方や 興味を持つ部分が異なり,「自分と同じ感性の人間ばかりが存在しているわけではない」ということを具に実感する機会を持つことは, 教職を目指す学生に限らず,あらゆる大学生にとって重要であると確信しています。
[授業者ひと言]
この「藤のたより」という授業通信は,授業開始時に全員に配布していますが,冒頭の連絡事項等を除いては,授業時間内に読み上げる ということは基本的に行っていません。つまり,授業通信を読むか読まないかは受講生の自由意思に任せてあるのです。もちろん, 作成する以上は読んでもらいたいのは当然ですし,ここで述べてきた「授業通信のねらい」にしても,授業通信を読んでもらわなくては 達成されないのは明白です。「まず,読まれなくては意味がない」という緊張感を持って,毎回,いかに最後まで読んでもらえるか工夫を 重ねています。「藤のたより」実物例をごらんになって感じられる通り,受講生が「藤のたより」を受け取った印象としては「表裏ともに 字がぎっしり印刷されていて,真っ黒」ということが多いようです。普段の生活で,活字を読むことに慣れていない受講生でも,最後まで 読み通せるようにするためには,表現上の工夫も必要です。枚数が多くなる傾向がある原因は,「できるだけ多くの学生の意見を取り上げたい」 ということにあります。自分の書いた質問や感想などが掲載されると「雑誌の投稿に採用されたような気になる」という学生は少なくありません。 もちろん,授業通信に載るために授業に出席しているわけではないのでしょうが,載せてもらえるような質問を書くためには授業をしっかり 聞いていなくてはなりませんし,授業通信に載せてもらえるということは,学生にとっては「報酬」として機能し,授業への参加を 動機づけているといえるでしょう。
学生と授業者との相互作用を実現するコミュニケーション・ツールには,他にも「大福帳」(織田,1999),「何でも帳」, 「質問書」(田中一,1999)などがあります(相互の比較についての詳細は溝上・藤田,2001の論文を参照してください)。 他のコミュニケーション・ツールと比べ,いずれが優れているか,というような議論はおそらく不毛かと思います。それぞれ, 各自の授業の目標も異なりますし,授業形式・規模も違います。従って,それぞれのツールの目的も違っているのですから。ただ, ここで授業者として強調しておきたい「授業通信の特色」もあります。それは,「授業通信」は, 授業者が責任持って編集を行っている一つの「作品」ということです。単に,学生側から提出された質問や意見に対し, 受け身の姿勢で回答を出しているだけではありません。上述の通り,必ずしも学生側から質問として出ない事柄でも, 授業者として意見を述べておきたいことがあれば,授業通信上で主張しています。また,すべての学生の質問に答えられないということは, 学生の質問の中から,自分が「回答したい」と感じるものを選択しているということです。これも,単に授業内容を補足するという基準のみで 選択しているわけではありませんので,選択という行為そのものに,授業者の意志や価値観,もっと平たくいえば個性が反映している といえるでしょう。そして,文章の作成においても,授業者の工夫次第で「読んでもらえるか」「読まれずに捨て置かれるか」が 変わってきますので,編集者としての責任が問われるところです。いずれにしても,かなり「攻め」の姿勢で取り組むことが、 授業通信を作成する上での重要なポイントといえると思っています。
実はこの「攻めの姿勢」を保つことが,授業に取り組む上で,非常に「イイ感じ」の刺激になります。大学の授業を,ノルマとして 嫌々こなしている……というような方は,このHPをご覧になることはないと思いますが,いくら積極的に大学教育に取り組んでおられる方でも, 研究や大学での会議などが忙しかったり,体調がすぐれないときなど,授業に対して消極的な気持ちになる瞬間もあると思います。そういうとき, 授業通信を作成しながら次週の授業の準備をしていると,1人ひとりの学生と向かい合って会話している気分になり,自然とやる気が湧いてきます。 決して,いい加減に適当に授業をごまかすということができなくなります。そういう意味では,授業通信を 作成することは,授業者の授業への取り組み方の認識を変える,と思っています。受講生に対する支援ツールというよりも, 授業者自身に対する支援ツールと言った方がいいのかもしれませんね
藤田哲也 2002 「学生の受講態度の自己評価と授業評価との関係について」『光華女子大学研究紀要』38号, 249-268.
藤田哲也・溝上慎一 2001年 「授業通信による 学生との相互行為I −学生はいかに「藤のたより」を受け止めているか−」『京都大学高等教育研究』7, 71-87.
溝上慎一・藤田哲也 2001年 「授業通信による 学生との相互行為II −相互行為はいかにして作られたか−」 『京都大学高等教育研究』7, 89-110.






