総合人間学を求めて I
(2-b) 学生の学習支援・導入教育
『総合人間学』とは何かを考える
(4-b) 上回生・大学院生を巻き込む
(4-c) リレー授業の工夫
(4-d) 他の学生がどのように授業を受けているかがわかる
文責: 小田 伸午
総合人間学を求めて I (シラバス)
(京都大学総合人間学部専門科目。2単位。1〜2回生対象。2001年度前期実施)
小田 伸午 (京都大学総合人間学部助教授)
山梨 正明 (京都大学総合人間学部教授)
北山 忍 (京都大学総合人間学部助教授)
岡田 温司 (京都大学総合人間学部助教授)
松島 征 (京都大学総合人間学部教授)
杉山 雅人 (京都大学総合人間学部助教授)
松村 道一 (京都大学総合人間学部教授)
河野 敬雄 (京都大学総合人間学部教授)
鎌田 浩毅 (京都大学総合人間学部教授)
竹安 邦夫 (京都大学大学院生命科学研究科教授)
有福 孝岳 (京都大学総合人間学部教授)
なし
「知的越境のすすめ」と題して,10数名の教官によるリレー方式で講義を行います。 総合人間学部は学術の総合を目指して誕生しました。 その存在意義は具体的にどういう ところにあるのか,お互いの専門領域を「越境しあう」ことになぜ新しい可能性を見い だすのかという問題は, 理系と文系が共存している本学部においては,学生だけでなく 教官も回答を求められています。本授業では,教官,学生共々に 「総合人間学とは何か」「知的越境とは何か」を考えます。
溝上 慎一 (京都大学高等教育教授システム開発センター講師)
杉原 真晃 (京都大学高等教育教授システム開発センター研究生)
教養部の改組改編を受けて発足した総合人間学部は,1993年4月に第1期生を迎え入れた, 京都大学ではもっとも新しい学部です。 新学部を「総合人間学部」として名づけた理由としては, 「本学部の研究・教育が,各専門分野に限定された個別的研究・教育を越え, 自然と調和した人間の 全体的形成を目標とするものだから」だとされています。その上で「総合人間学」の定義を,「人間存在を, 人間の内面的な心理とか価値や思想の面,あるいは身体面からだけでなく,人間のおかれた社会,政治,経済, 文化,歴史環境,さらには, 物質や生物などの自然環境との関係を含めて,総合的に理解しようとする学問である」 としています。すなわち,総合人間学部は, 従来の個別科学の枠を越えた,より多様で総合的な学問の場となるよう 目指して発足したのです。
ところが,このような理念とは裏腹に,実際の有り様はなかなかに難航しています。 たしかに,多様な領域の専門家は集まっていますし, さまざまな授業科目が提供されています。 しかし,それらが「総合人間学」としてどう有機的に関連しあっているのか,はたまた, そこでなされる研究や教育が従来の個別科学を標榜する他学部(理学部や法学部,経済学部など)と どのように異なっているのか, どのようなオリジナリティを打ち出せているのか,学生ばかりか教官で さえなかなかわからないのです。教官一人一人に尋ねれば,「 総合人間学とは○○だ」といった個人的 見解を示してくれることもないわけではありません。しかし,誰に聞いてもその答えは個人多様であり 一定の見解という形で示されることはありませんでしたし,関心のあるテーマさえもっていないことの 多い学部生にそれはなかなか うまく伝わらなかったのです (⇒学生の感想はこちら)。
まず,講師の先生方を呼びかけるところからはじめました(⇒ お手紙)。 そして,ご協力いただける先生方をリレー式に編成して作成した授業概要が<表1>です。
| 回 | 月日 | 授業担当者 | 対論者 | 授業内容 |
| 1※ | 4/18 | 小田伸午 | なし | ガイダンス |
| 2※ | 4/25 | 小田伸午 | なし | スポーツにおける科学と実践の総合 |
| 3 | 5/2 | 杉万俊夫 | 杉山雅人 | 人間科学とボランティア |
| 4 | 5/9 | 山梨正明 | 松村道一 | 言葉の科学と認知のメカニズム |
| 5 | 5/16 | 北山忍 | 小田伸午 | 文化と自己 |
| 6 | 5/23 | 岡田温司 | 北山忍 | レオナルド・ダ・ヴィンチにおける芸術と科学 |
| 7 | 5/30 | 松島征 | 小田伸午 | 小説と映画のナラトロジー |
| 8 | 6/6 | 杉山雅人 | 山梨正明 | 湖を囲む緑と自然 |
| 9 | 6/13 | 松村道一 | 杉万俊夫 | 心の進化 |
| 10 | 6/20 | 鎌田浩毅 | 河野敬雄 | 総合人間学と火山研究 |
| 11 | 6/27 | 竹安邦夫 | 松島征/河野敬雄 | クローン技術と生命倫理 |
| 12 | 7/4 | 有福孝岳 | 小田伸午 | 大きな理性の身体と身学道 ニーチェと道元 |
| 13※ | 7/11 | 学生有志 | 小田伸午/竹安邦夫/ 岡田温司/河野敬雄/ 松島征 |
学生による総括討議「総合人間学を求めて」 |
※総人1期生が参加
(4)他の学生のレポートを読む
初回のガイダンスの授業では,世話人の私がこの授業にかける意気込み,目的などを話しました。 また,総合人間学部1期生の学生 (現在,生命科学研究科D3)もかけつけてくれ,幅広い知識の意義, 1期生としての想い出などを受講生に語ってくれました (OBからのメッセージ)
(学生の感想はこちら)
[授業者ひと言]
こうした導入は,受講生に教官が出来上がったものを一方通行的に学生に教え諭すのではなく, 学生とともに「総合人間学とは何か」 「知の越境はいかに」を考えていこう, 先輩や卒業生も巻き込んでみんなで考えていこうとする姿勢として学生に示しました。
本授業では,2つ目の特徴として,授業者である教授陣が自身の研究で総合人間学へいかにアプローチしているかを 学生に実際に見せるようにしました。
(学生の感想はこちら)
[授業者ひと言]
総合人間学とは何か」「知の越境をいかに」を理屈として抽象的に講釈したのでは, 教授陣の揺らぎが学生に伝わらないと考えました。 教授陣は授業者として, まさに自らの実践を通して総合人間学へのアプローチを披露しました。学生の心を動かしたのは, さまざまな分野のリレー講師の設定それ自体ではなく,そうした設定の中で教授陣が学生に見せた おのおのの生き様だったように思います。
本授業の3つ目の特徴は,対論者を設定したことです。これによって, 授業者の研究やモノの見方の相対化をはかりました。
(学生の感想はこちら)
[授業者ひと言]
学生たちは,この対論によって,総合人間学部のある先生の考えが同じ学部の別の先生にとっては 違っていること, すなわち絶対的でないことを生でかいま見たように思います。 「総合人間学」の絶対的でないさまざまな可能性を, まさに舞台の上で生で実践して 見せた教官同士の姿は,学生を強く「総合人間学」「知の越境」の世界へと誘っていったと考えられます。
本授業の4つ目の特徴は,学生の書いた授業毎の「授業終了後レポート」をワープロで打ちなおして, 次週の授業前に学生に 配布したことです。2回目の授業(講義としては1回目)では,すでに「学生 が何を考えているか聞きたい」 (4月25日「授業終了後レポート」,経済学部3回生男子)などの希望が 自発的に寄せられましたので, これはそれへの処置でもありました。
(学生の感想はこちら)
[授業者ひと言]
ほとんどの学生は,他の学生のレポートに興味をもったり奮起させられたようでした。
授業の最後には,学生同士のグループ討論を実施しました。当初,グループ討論は授業予定に 入れていなかったのですが, 卒業生OBが寄せてくれた”おなら論”を ベースとした総合人間学の見方に対してある学生が強く反応し,それなら学生同士してみるかということになり, 授業最終日を学生討論の回としたのでした(<写真>)。
[授業者ひと言]
当初たてた授業計画通りに授業を進めていくことも大事かもしれませんが, 学生たちが関心をもったこと,考えたいことがうまく 出てきたときに, それに柔軟に対応して授業を設計し直すのも大事だと考えました。というのも, 授業の本質は学生たちが学ぶこと, 学生たちの学びを促すことにあると思うからです。
授業終了後レポートや最終レポートを参考にすると,学生たちはこの授業を通して, 「総合人間学」「知の越境」への考え方を さまざまに変化させたようです (⇒学生S.O./学生M.S.の例)。
ただし,問題もありました。1つは,とくに1回生学生が, 自身の学びのテーマ,やりたいことさえもたないが故に,理屈では 「総合人間学」「知の越境」について考えようとしながらも,実感では具体的に それへの思考を押し進めることができなかったことです。 もう1つは,教授陣が 自身の「総合人間学」へのアプローチを示すのに,圧倒的な知識量や語学力を見せつけ, 学生たちがそれにたじろぎ 自分たちがいかに無知であるかを思い知ったということです。 この類の学生たちは,次のように述べました。
学生S.Y.(総合人間学部1回生男子)
(知の越境とは何かについて)はっきり言ってまだよくわからない。 とにかく今は絶対的な知識量が足りず,とくにこの 「総合人間学を求めて」の講義では,
毎回自分がいかに無知であるかを痛感させられている。(「中間レポート」より)
学生M.Y.(総合人間学部1回生女子)
12回の講義に出てとにかく感じたのは,知ることも考えることも行うこともすべてが不十分で, もっとたくさんのことを知って考え, 行わなければならないし,そうしたいと思った。
(7月4日「授業終了後レポート」より)
学生M.T.(総合人間学部1回生男子)
総合知を求めるということは,あまりに過酷で力が必要なことであって, 特定の専攻を決めていない自分は,希望というよりも不安に とらわれている感じがします。
(「中間レポート」より)
リレー講義は,講義間のつながりがなく,全体として一貫性に欠けるという声が従来より 聞こえていたので,一見ばらばらのテーマの リレー講義に統一感をもたらすにはどうしたら いいかということが課題であった。
そのために,毎回異なるテーマの講義が終わった後に設ける論議の時間帯で, 知的越境ということを毎回の共通テーマとして, まずは教師間で対論することを心がけた。 以前,教養部時代に,ある二人の教師が二人で教壇に上がり対論形式で進める授業は, 学生諸君にとって,非常に刺激的で好評であったと聞いたことがあり,これだと思っていた。 もともと本学部では,教養部時代から 様々な学問領域に居る教師通しが,廊下の立ち話や 教授会前の雑談などで,自然に知的越境を行なう雰囲気がある。これを生かし たいとも考えた。
教師間の論議が活発になれば,学生と教師間の論議へと繋がり,さらには,学生通しの論議へ 繋がってゆくであろうと考えた。 このような論議の連鎖がこの講義で十分達成されたとは思わないが, その兆しを見た,ということは言えたと思う。
「この授業は教師が近い感じがしていいと思った」という感想が寄せられたが, これは本当に嬉しかった。学問の総合, などと大上段に振りかぶると,教師も学生も構えてしまって, 身動きがとれないのが常である。したがって,私の仕事は,とにかく, 生身の人間が互いに気心が 知れる雰囲気作りを大事にすることであった。
私が私自身に課したもうひとつの課題は,世話人の私自身が,リレー講義をして頂いた先生方から 何かを吸収する総合化の姿勢でいる ことである。学問の総合を学生だけに求めるのは間違っている, という思いが根底にあり,総合人間学部の教師がそのことに情熱を燃やす人で あってこその総合 人間学部だと思う。
この授業を通じて,総合化の難しさを感じながらも,予想以上に,いろいろな先生方と授業の中でも, そして外でも,真剣なお話が出来た。 ナラトロジーをテーマに,インド夜想曲という素晴らしい映画を 紹介して頂いた松島先生からのお誘いを受け,先生のゼミに出席させて頂き, はじめて文科系ゼミの 経験をした。身体運動における主観と客観のずれという私の総合人間学のコンセプトを力説し, そのことと インド夜想曲のテーマがどのように通じているかを,院生の前でやや緊張して述べた ことも良き想い出である。
道元の身を以て学ぶというテーマでお話頂いた有福先生には,身体と脳(意識)の相互作用から みた運動科学のテーマをぶつけて みたこともあった。先生のお部屋に入れて頂き,年末の忙しい ときに,3時間以上お時間を割いて頂き,実に楽しい充実した 対談をさせて頂いた。 有福先生からは,哲学の観点から,人生経験も含めて,さまざまな有り難いお話を頂き, 最後には先生の ご著書を頂いた。その扉には,次のお言葉が認められていた。 「こころとて人に見すべきものぞなし ただその働きの有るのみにして」 先生との出会い, そしてそのお言葉は,一生忘れないであろう。
「おなら論」をメールで送って頂き,実際に授業にも来て頂いて,受講生と対談してくれた 総合人間学部1期生の横山君の存在も有り 難かった。総合人間学部に何故入学したのか, 入ってからどのように過ごしたのか,などの体験談は,受講生の目の色を変えた。 このおつき合いがきっかけで,彼は5年間の社会人としての生活に区切りをつけ, 私の所属する大学院人間・環境学研究科で学ぶことを希望し, 5年のブランクを物ともせず 先日院入試を見事パスした。来年から,私の研究室の修士1年生として,新たな人生がスタートする。 まさに, 総合人間学部を求めてのなかから出てきた有り難い結果となった。






