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ライフサイクルと教育−京都大学のFD(公開実験授業)−

(1-a) 学生を参加させる授業

何でも帳を用いて相互性を実現

(5-a) 公開授業と授業検討会

相互研修によるボトムアップFD

(4-d) 他の学生がどのように授業を受けているかがわかる

何でも帳の抜粋を配る

何でも帳

文責: 田中 毎実

(注)3枚目の授業検討会は2002年度のものです。
1998年度まで授業検討会はビデオに収録されていませんでした。

動画01 動画02 動画03

*動画は授業の雰囲気を伝えるものです。頁内容とのリンクは基本的にありません

*動画をご覧いただくにはQuickTimePlayerが必要です。

◆授業科目名:

ライフサイクルと教育−京都大学のFD(公開実験授業)− (シラバス

◆授業担当者:

田中 毎実 (京都大学高等教育教授システム開発センター教授)

◆テキスト:

なし

◆授業のテーマと目的:

公開実験授業全般:公開実験授業は、京都大学高等教育教授システム開発センターの 大切なプロジェクトとして、平成9年度から今日まで続けられている。全学共通科目「ライフサイクルと教育」を公開し検討会を実施してきた。 通年授業、毎週月曜日、年間20数回。そのうち最初の3年間は筆者が一人で担当し、それ以後はリレー式で実施されてきた。本授業はその 最初の3年間のものである。

シラバスには、授業目的を、「学生たちの《教える存在としての人間》への自己形成を助成する高度一般教育をめざす」と記した。 「高度一般教育」は、京都大学の一般教育カリキュラムの用語であり、専門教育の準備や基礎や補完ではなく高度な専門教育と 相互補完的に高等教育を構成するものである。高度専門教育と高度一般教育からなる教育とは、マックス・ウェーバーの非難の言葉 (「ハートのない職業人・専門人」)をもじって言うなら「ハートのある職業人・専門人」を育成しようとする教育である。まさにこの 高度一般教育の理念のもとにある「<教える存在としての人間>への自己形成を助成すること」をめざす授業は、 人間形成論をテーマとしている。

このプロジェクトの意図は、第1に、90人規模の受講生を対象に「何でも帳」や討論などを用いて双方向的授業を実施すること、 第2に、授業をフィールドとしてビデオ分析などの実証的研究、現象学的研究を展開すること、第3に、授業検討会というかたちで相互研修 としてのFDを実施することである。

FDとしての意義:この授業については、年間に数度京都大学全学に広告のチラシを配布した。 学外には公開研究会や教員研修会などの適切な機会があるごとに参観を呼びかけた。

授業研究会に参加した参観者は、第?T期初年度は3〜6人、2年度は4〜9人、3年度は8〜14人である。臨時の参加者よりもかなりの回数を 付き合う常連の方が多い。センターのスタッフを除けば学内よりも学外の参観者の方が多い。そのなかではさすがに高等教育関係者の方が、 それ以外の学校種(小学校、高等学校、工業高等専門学校など)の関係者よりもはるかに多い。多くは近畿圏の国公立大学からだが 地域的には全国に及んでおり、私立4年制大学、女子短期大学、工業高等専門学校、小学校や高等学校の現職や退職の教員などもいる。

センターの関係者を除けば、常連では文系よりもむしろ理系の参観者の方が多い。検討会では、リサーチアシスタントである 大学院教育学研究科博士課程在学中の学生が議論に参加しながらその記録を取り、翌週の検討会の始まる前に前週の記録として配布した。

参観者はすこしずつではあるが確実に増加し、たとえば近畿圏の国立大学を取り上げればそのほとんどすべてから参加者があった。 外部からの参加はまずまずであるが内部からはかなり少ない。京都大学教員の教育意識調査によれば、このプロジェクトについてはかなり 宣伝したつもりであったがあまり知られてはいない。

それにしてもなぜこんなにも参加者が少ないのか。考えられるのはまず拘束時間の長さである。なにしろ授業が午後2時45分から 4時過ぎまで続き、それを受けた検討会が終わるのは多くの場合6時近くなのである。さらに大学人の自負と独立性を考えれば、 人の授業なんて見たくないということもあるかもしれない。内部参加者の少なさは大きな問題である。

公開実験授業をFDという視点から見て、私たちが一貫して強調してきたのは、大学教員の研修が「相互」研修であるべきだという 考え方である。専門家と素人という「啓蒙的」な構図は、FD含む大学教員の能力向上活動にはあまりうまくは馴染まない。 大学教員のこの種の活動には自律的活動者どうしの協働こそが相応しいのである。

私たちは、模範的な授業を提示したり一般教員の通常授業に入り込んでこれを指導したりする「啓蒙的」なスタンスをとることに 激しく抵抗してきた。私たち自身の授業の拙さなさを手がかりにして、私たち以外の仲間たちとお互いに学びあうこと。 これが公開実験授業第?T期プロジェクトにおける私たちの基本的なスタンスであった。

専門家と見なされがちなセンタースタッフの授業を(「モデル」ではなく)「たたき台」とする公開実験授業の検討会こそが、 さしあたっては「相互」研修の場として格好であるように思われる。

公開実験授業のFDとしての意義をまとめていえば、以下のようになる。

(1) 公開授業は、教室の壁を崩し、孤立した個人的反省を超えて、反省の共同体(相互研修の共同体)を創りだす。

(2) 授業公開には、公式・非公式、日常・非日常、定例・随時、意図的・偶発的などの別、公開の程度、規模の大小など、多様な形態がある。

(3) 授業公開は互いが学び合うためにあり、互いの批判や非難ではなく、むしろ互いの営為の受容と肯定がめざされるべきである。

(4) 公開授業は、授業に関する自己反省、学生の授業評価などの延長上に位置づく。

(5) 授業公開の教授団への触発力は大きいが、他のFD事業と組み合わせて実施されるべきであり、 それだけでは初発的で啓蒙的な意義しかもつことができない。

◆共同研究者(敬称略):*所属は当時
石村 雅雄 (京都大学高等教育教授システム開発センター助教授)
大山 泰宏 (京都大学高等教育教授システム開発センター助手)
溝上 慎一 (京都大学高等教育教授システム開発センター助手)
(1) 公開実験授業第 I 期プロジェクトの概要

公開実験授業第 I 期プロジェクトでは、3年間にわたっておよそ60回ほどの授業と検討会を繰り返した。

授業は、毎週月曜日4時間目、数台のビデオカメラと参観者たちに取り囲まれて、午後2時45分にはじまりだいたい4時過ぎに終わる。 教室で各自の「質問・感想・意見/何でも帳」にコメントを記入している受講生たちを残して、授業者と参観者たちは教室隣の会議室で 授業検討会をはじめる。

授業案、配付資料、4分割画面に再生されるビデオ映像、授業評価票などにもとづく議論は毎回ほぼ1時間半、時によっては2時間に及んだ。

授業01 授業02

<写真> 公開実験授業の様子

授業03 授業04

<写真2>授業検討会の様子

(2) 受講登録学生

受講登録学生は、3年間で、30名、100名、300名と増え続けた。初年度には、出席する学生は20名たらず。これを5、6名の参観者が見守った。 3年目には、教室の収容数と授業分析の都合上受講を制限し、300名のうち70名を選別した。

毎時間50数名の学生が出席し、これを10数名の参観者が取り囲んだ。『履修の手引き』などで機会のあるごとに、 「この授業は公開実験授業なので、常時何台かのビデオカメラで撮影するし、かなりの参観者があり、しかも毎回感想などを 書いてもらい授業評価などのデーターを取る」と告げた。それでも受講生は急角度で増加した。

一般的にいって学生間での講義情報の伝達速度と精度はそれなりに高い。このことからすれば、増加は肯定的評価とみてよいかもしれない。 受講生の大半は入学したての1回生である。2、3回生も若干は混じり、自分の関心から参加した数名の大学院生もいた。受講生の所属学部は 分散しており、3年目にはほぼ全学部から参加者があった。

「ライフサイクルと教育」という講義題目のせいか、比較的女性の受講生が多く教育学部の学生も多い。 他の学部の受講生数はほぼ入学定員の割合どおりである。

教室では、授業者と受講生は、あらかじめ配布された授業案や資料をもつ参観者たちと4台のビデオカメラに取り囲まれた。

授業終了前、受講生に授業評価票や各人の「感想・意見・反論/何でも帳」(図1参照)などへ記入させて回収した。 「何でも帳」のコメントのすべてにはごく短い応答のコメントを書き込んで、次回授業開始前に返却した。受講生のコメントのうち 授業を構成する上で役立ちそうないくつかを選んで印刷・配付し、前時のふりかえりと授業の導入に利用した。

なんでも帳

図1 何でも帳の実物

(3) 前理解の理解

授業で事前に準備したものは、授業案と「感想・意見・反論/何でも帳」のコメントからの抜粋と授業用資料である。

受講生たちは、これまでのまだ短い人生の大半を伝統的な教育学としっかりと結びついた学校教育のなかで過ごしてきた。 その結果彼らは、「教育」や「学校」や「家庭」から適切な批判的自律的距離をとれないままに、いつのまにか伝統的な狭い 「教育」理解のうちに閉じこめられている。人間形成論の議論を通じて狭い前理解を突破させ、解放を体験させること。 これが高度一般教育としてのこの授業の目的である。この突破と解放はそのまま彼らの「教育する存在」への自己形成の余地を 開くことである。

授業内容については毎年少しずつ改良を加えた。ライフサイクルの全体を1年間で全部主題的に扱うことはとてもできない。 そのため、毎年授業で扱うライフサイクルの段階や順序は異なってきた。2年度と3年度では、初年度の反省を踏まえて青年期を最初に扱った。 これによって授業では、初回からまさに青年期のただ中にいる受講生の実存的反省と前理解の突破という基本的な方向づけをうまく 与えることができるようになったと考える。

(4) 授業者と受講生、参観者との双方向性、相互性の成立

この授業では、授業者と受講生、授業者と参観者の間で双方向性ないし相互性を成立させようと試みた。

受講生との間に一方的な教育関係ではなく相互的な関係をつくるためにはなによりもまず「何でも帳」を利用した。それ以外にも あれこれと手段をつくした。たとえば受講生の授業評価については、集計結果や自由記述に限らず、すべての情報をできるだけ 早く彼らに返した。批判的な評価や提案にはなるべく正面からこたえた。これによって彼らをじょじょに有能な授業の判定者へと 成長させることができたと考える。

授業研究の成果もできるだけ受講生に返した。授業に関する学会発表のレジュメも印刷して受講生に配布した。関連する論文や 報告書などについては問い合わせれば入手できるようにした。

授業後の検討会についても、受講生の参加は認めなかったものの議論の内容はできるだけ紹介し、最後の授業では授業概要とともに 検討会の議論内容のまとめを配布した。このような配慮によって受講生は、たんなる被教育者ではなくましてや実験動物でもなく、 あるていど私たちと授業構成の責任を分有する共演者になったものと考える。

責任を分有することによって、受講生は受動的立場にとどまることができなくなる。彼らはたえず授業そのものについての メタレベルの反省を続けなければならない。これによってこそ彼らもまた授業の相互主体的な共演者であり続けることができる。 受講生たちが被教育者でありながら授業についてのメタレベルの反省を続けることは、彼らが自身の存在を二重化させることである。 面倒でもあればわずらわしくもある。

「何でも帳」にたびたびうんざりした調子で書かれている。しかし、このわずらわしさを抱え込むことによってこそ、彼らは 受講生という役割のパタン化やマンネリ化を超えて、授業に関わる自分と授業を組織する制度や文脈とを絶えず読み替え、 そのすべてを新たに生成していくことができる。私たちのめざしたのは役割への固定的なとらわれからの解放であり、この解放による 相互的な生成の余地の創造である。

抜粋を2種類配ったことがある。前週の「何でも帳」の抜粋と前週配った前々週の抜粋に授業者が手を加えたもの、その2枚である。

後者は、受講生が抜粋にどんな反応を記したかについて授業者がまとめてこの抜粋に書き加え、これをあらためて印刷し配ったのである。 受講生はたとえば「前の9番のコメントはこう書いていたが、そうではないと考える」とか「前の7番のコメントには賛成だが、 別の考え方もある」とか具体的に名指して書いている。私は、受講生どうしの討論のネットワークができかかっているものと判断して、 この情報を正確に彼らへ返すことによって彼らが意識的自覚的に議論のネットワークを生み出すように促したのである。受講生たちは この試みに瞬時に真正面から反応し、たちまち議論の錯綜したネットワークが現出した。

しかしこのネットワークの全体像を彼らに示すためには、全員のコメント配布を繰り返さなければならない。莫大な労力が必要である。 この技術的なネックによって、2枚の抜粋を配布する試みは3週間程度で中止せざるをえなかった。

平成10年度からはインターネットによる討論の組織化と研究合宿を媒介にして慶応義塾大学と連携するゼミ を実施した。このプロジェクトを始めた一つのきっかけは、技術的ネックによって公開実験授業で受講生たちの討論のネットワークを うまく組織できなかったという深刻な反省にある。

(6) 大学教員のFDとしての相互研修

公開実験授業の存在意義のさらなる一つは、授業の集団的検討による大学教員の相互研修にある。私たちの教育能力開発プロジェクトでは、 教育能力を個人化したり物象化したりする風潮に対抗して実践性と共同性を重視している。まさにこの点でこのプロジェクトは、 FDの今日的な問題に意識的に答えるものである。

授業検討会を通しての相互研修は一定の成果を上げてきた。大きくみて、常連の議論はじょじょに深い意思疎通を実現してきたし、 臨時的な参加者の多くは議論を思いもかけぬ局面へと生産的に導いてくれた。FD研修においては具体的な授業実践を手がかりとする 集団的検討作業がかなり有効であることがわかる。もちろんある程度プロジェクトを継続すれば授業検討会もマンネリ化する。 参加者の出入りや漸増などの表面上のにぎやかな変化の底では、常連が固定化し議論が定型化する。

3年目以降の授業検討会では、同種の学校文化を共有し実践のフィールドをもつ教員に参加を制約した。この最低限の条件を 満たしさえすれば、たとえ専攻領域が遠く離れていてもむしろ領域が離れているが故にこそますます議論はかみ合うことができる。

私たちのプロジェクトは典型的な文系の一般教育科目の授業である。にもかかわらず授業検討会では、センターのスタッフなど文系教員、 工業高専や教員養成学部の理系教員、農学部や関連のセンターのスタッフ、理学系や工学系の学部の教員などがお互いにかなり深く 生産的に議論することができた。私たちはほぼ同じような文化を共有し帰るべき自前のフィールドをもちながら共同の討論に参加してきた。 そして「どうすれば学生は能動的になるか」という(理系文系に限らず共通に強い関心のある)重大な実践問題をめぐって互いに 真剣に議論を重ねてきた。これがおそらく意思疎通に成功した理由である。

公開実験授業プロジェクト第?T期では、授業者であった私は、ごくありきたりの「一斉教授」の形式にあくまで執着したので 華々しい相互行為はあまり表立ってはみられなかった。しかしここでも「何でも帳」やヴィデオ分析や学生の授業評価や参観者による 授業検討会などを通じて、一斉教授における相互行為の実態はかなりあらわにされた。

授業者である私には、これまでの公開授業では、授業経過はかなり似通った展開を示し、ほぼ同じ期間で同じ3つの時期を 通過したように見えた。授業者と受講生が間合いを計りつつじょじょに接近しておずおずと相互行為の基盤を構築する「遭遇」期。 この基盤にもとづく相互行為によって互いの理解を深め相互行為の安定した型を構築する「探索」期。定まった型によって安定した 相互行為が繰り返される「確立」期。この3つの時期を区分する類型的な出来事もある。たとえば遭遇期から探索期への移行期においては、 扱いの困難な私秘的コメントがほぼ消失し授業に対して否定的なコメントが一挙に現れることなどである。

かりにこの3段階説になにがしかの妥当性があるとすれば、最終段階である「確立期」こそが受講生に安定的かつ効果的に 介入できるもっとも大切な時期であるのだろうか。最初の2つはなるべく短く切り詰めて、この大切な確立期だけを最大限拡張するように 努力すべきなのだろうか。必ずしもそうではないと考える。たとえば「探索期」を「中だるみ」と呼ぶ報告もあるが、この時期の相互行為を 詳しく分析すれば、これがかなり生産的な時期であることが分かる。むしろ受講生と教員の双方にとって「遭遇期」、 「探索期」での互いに心もとない試行錯誤こそが、深い生成的意義をもっている。構造を求める双方の相互主体的な努力はそれ自体が 相互生成であり、自己目的的な価値をもつ。したがって、構造そのものではなく、そのつどの構造化という力動的な運動こそが、 大切なのである。

構造化とは、<相互行為の構造化、相互行為による構造の突破、構造の再構造化>からなるユニットが循環的に繰り返されて 授業構造の生成する力動的な過程である。この生成的な循環を生産的に維持することこそが、(受講生の前理解を反省させ、 彼らの教育する存在への成熟を助成しようとする)この授業にとってはもっとも大切な課題である。個々の受講生の「何でも帳」 の記述を年間を通して読んでみると、授業を通して彼らの前理解が首尾良く再構成されたり、再構成され損なったりしている流れが、 はっきりと読み取れる。この流れの質こそが授業の成否をきめるのである。

相互研修としてのFD、何でも帳を用いての授業者、学生、参観者との相互性など、公開実験授業の詳細は、

・京都大学高等教育教授システム開発センター (編) 1997 開かれた大学授業をめざして−京都大学公開実験授業の一年間−.玉川大学出版部.

・京都大学高等教育教授システム開発センター (編) 2001 大学授業のフィールドワーク−京都大学公開実験授業−.玉川大学出版部.

・田中毎実 1996 定時公開授業「ライフサイクルと教育」(1)−平成8年度実施のために−. 京都大学高等教育研究, 2, 127-159.

・田中毎実 1997 定時公開実験授業「ライフサイクルと教育」(2)−「一般教育」と「相互研修」に焦点づけて−. 京都大学高等教育研究, 3, 1-24.

で述べられているので参照されたい。

また、平成13年度には、教育工学の専門家が本格的にスタッフに加わったこともあり、検討会のありかた、研修の意味などについて、 1年間にわたってかなり激烈な議論が続けられた。これについては

・京都大学高等教育教授システム開発センター 2001 平成13年度公開実験授業の記録.京都大学高等教育叢書13.

を参照されたい。何でも帳と授業者、学生との相互行為の詳細については、次の文献もあるので、あわせて参照されたい。

・京都大学高等教育教授システム開発センター (編) 2002 大学授業研究の構想−過去から未来へ−.東信堂.

・大山泰宏 1998 授業のフレームと日常の知−「何でも帳」を主とした相互行為分析を通して−. 京都大学高等教育研究, 4, 65-81.